大泉洋×目黒蓮の“師弟愛“が愛おしい! 『月の満ち欠け』特典映像でさらに深まる魅力
2022年12月に全国公開され、第46回日本アカデミー賞9部門を受賞した映画『月の満ち欠け』。そのBlu-ray&DVDが6月21日にリリースされる。
原作は、2017年に直木賞を受賞したベストセラー小説『月の満ち欠け』。愛する妻・梢と娘・瑠璃を交通事故で亡くした主人公・小山内堅のもとに、フォトグラファーの三角哲彦という男性が訪ねてくる。彼は27年前に出会った“瑠璃“と名乗る女性と恋をしていた。そして、堅の妻と娘は三角に会いに行く途中で命を落としたというのだ。そして三角は、娘の瑠璃が、かつて恋をした“瑠璃“の生まれ変わりなのではないかと直感していて……。
生まれ変わっても、愛する人にもう一度会いたい。そんな強い想いが起こす時空を超えた奇跡の物語を、大泉洋、柴咲コウ、有村架純、目黒蓮と豪華キャストで綴った本作。メガホンを取ったのは、『余命1ヶ月の花嫁』や『ストロボ・エッジ』などで知られる廣木隆一監督だ。
大泉の心を揺さぶる熱演が光る、愛の物語
本作を包み込んでいるのは、恋愛、家族愛、そして友愛……と、いくつもの愛だ。両親からの愛を知らず、恵まれない環境の中で育ってきた“瑠璃”(有村架純)。結婚をしても、そこに求めていた温かな愛はなく、離婚をすることも許してもらえない。そんなときに出会ったのが、大学生の三角(目黒蓮)だった。許されない想いだとわかりながらも、今まで味わったことのない優しさに触れる瑠璃。しかし、そんな甘い時間は続かず、不慮の事故で命を落とす。満たされなかった想いと「いつまでも待っている」という三角に会いに行きたい一心で、瑠璃は生まれ変わりを果たす。
それが、堅(大泉洋)と梢(柴咲コウ)夫婦のもとに生まれた瑠璃(菊池日菜子)だった。おそらく、生まれ変わる前に瑠璃が「見た」と話していた微笑ましい新婚夫婦とは、この2人のことだったのだろう。“瑠璃”が「生まれ変わったら」と夢に見ていた通りの愛情に溢れた家族。キラキラとした家族の時間が丁寧に描かれているぶん、その喪失は見ていて喉の奥がグッと締め付けられるように苦しかった。どうして、自分の家族がこんなことに……堅が咽び泣く姿には、思わず涙腺が緩む。そして大切に育ててきた娘だからこそ、かつて三角が恋した“瑠璃”の生まれ変わりだということを信じられない気持ちもわからなくもない。目を真っ赤にして、その話をした三角をにらみつける。そして、「私の娘は、君が言う女性とは何の関係もない!」と声を荒げるシーンも。
そんな堅に「みんな誰かの生まれ変わりで、それを覚えていないだけと考えてみては」と助言するのが、瑠璃の親友だった緑坂ゆい(伊藤沙莉)。そして、ゆいもまた娘に“瑠璃”という名前をつけていた。それは、かつて瑠璃から「受け取ってほしい」と言われていたサインを、ゆいが信じた証。
頑なに現実を受け入れられないと拒むのも愛。そして、大切な人の言葉をスッと飲み込むのも、また愛。大泉の熱演と、周囲のキャラクターの比較的感情を抑えた演技とが対照的で、それぞれの形の愛がじわじわと観る者の心に染み込んでいく。ファンタジックな設定ではありながらも、そこにある愛は自分の身に置き換えずにはいられないほどリアル。観た人によって様々な感情に包まれる作品だ。
特典映像から伝わってくる、出演者たちの愛
そんな作品がどうやって生まれたのか、丁寧にカメラが追った特典映像もまた必見だ。「Making of 月の満ち欠け」と名付けられたメイキング集には、感染症対策をしながら続けられた舞台裏が記録されている。1980年〜2007年という実に27年という長きに渡る物語を、ほとんど順番通りに撮影したのも大きな特徴。幸せな日々と、悲しみにくれる日々が、交互に来てはなかなか気持ちを作れないだろうという大泉への配慮だと思われる。そして、大泉もまたそんな気遣いを察知して、感謝する場面が印象的だった。
また、1980年代の高田馬場駅前を再現した巨大なオープンセットも。これには、目黒も「いかつ過ぎませんか?」と思わず笑ってしまうほどの力の入れよう。しかし、残念ながら大泉も柴咲もその当時の高田馬場には足を運んだことがなく、有村や目黒はまだ生まれていないということもあり、主要キャストが全員ピンと来ていないと「キャストインタビュー」のコーナーで笑いを誘っていた。それでも廣木監督がご満悦だったと、みんなで微笑んでいたのも、いかに現場で監督が愛されているかを象徴しているようだった。
伊藤や田中も監督と役柄について気さくに意見交換をできていたと話していた。「とってもかわいい」なんて言葉が出てくるのも、なかなかないように思う。もともとシンプルな構図で感情を切り取っていくのが得意な廣木監督。撮影期間としてはコンパクトにまとめられていたようだが、それぞれがいい作品にしたいという熱意と、廣木監督への信頼、そして原作へのリスペクトもあり、非常に温かな雰囲気が流れていることが伝わってきた。
それは、役者という幾多もの人生を生きる彼らが、たまたま巡り会った“今生“を精一杯生きる姿にも感じられて。どこか、この作品の本質の部分と共鳴しているのではないかと思えた。