『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』が押し広げた映画の新たな可能性
生成AIと「テクスチャーフリーの時代」の映像表現のあり方を示した
本作が示したようなテクスチャーの可変性は、我々の現実にはすでにありふれたものと言える。スマートフォンの写真機能にあるフィルター効果を一度も試したことのない人は少ないだろう。TikTokやInstagramではフィルター機能は基本操作の一つと言っていい。自身の外見を含め、テクスチャーを変えるというのは、VTuberやメタバースのような想像力も含めて、現実世界の新常識になりつつある。
言うなれば、今世の中は「テクスチャーフリーの時代」に突入しているのだ(少なくともオンラインの世界では)。その傾向は生成AIの登場でますます加速すると思われる。実写映像をアニメーションに、アニメーションからフォトリアルな動画を生成することがAIによってますます身近になってきている。
そういう時代には、テクスチャーはそもそも選ぶものという感性が強くなる。もし、現実を撮影したそのままの映像を出す場合、それは「敢えてテクスチャーをいじらない」表現として認識されるようになる。無限のテクスチャー選択肢の中で、いかに表現者は自らの表現を完成させればいいのか、『アクロス・ザ・スパイダーバース』はそんな時代に対して、「芸術的意図を持って無限のテクスチャー可能性を束ねてフル活用せよ」とさっそく答えを示したのだ。
本作には実写の登場人物まで登場するが、それは数あるテクスチャーの選択肢の一つとして提示されている。日本アニメのルックの少女もいればアメコミスタイルのキャラクターもいる、さらには別の絵柄のスパイダーマンもいて、その中で生身の人間も等価の存在として置かれている。生身のまま登場させることに優位性はなく、単なる一つの選択肢に過ぎないのだ。
そうした主張がテクスチャーそのもので表現されているのが本作の驚くべき点である。動きによって何かを表現するのがアニメーションであるとすれば、もちろん本作にはその要素はおおいにあるのだが、テクスチャーそれ自体で運動に匹敵するほど多くのことを表現している。本作はアニメーションに「可変テクスチャー」という、大きな武器を追加しているのだ。
テクスチャー自体に大きな表現的意図のある作品の先行例は存在する。例えば、リチャード・リンクレイター監督の『スキャナー・ダークリー』は実写映像をデジタル・ロトストーピングで加工すること自体に大きな表現意図が宿っている作品だった。この作品のテクスチャーは全編を通して統一的だったが、『アクロス・ザ・スパイダーバース』の驚くべき点は、ショット単位でテクスチャーを変化させても作り手の統一的な意志が崩れていないことにある。
作り手の意図をもって質感を変えるというのは、日本アニメの「ハーモニー処理」的でもある。ハーモニー処理とは、セル時代のアニメのテクニックで、キャラクターのセル画を背景美術のような質感で描くことで劇的な効果を狙うものだ。これもある種のテクスチャーの可変性による効果を狙ったものと言える。こうした演出は、アニメーションの世界には昔から存在していたが、あくまで表現の主役は運動だった。しかし、『アクロス・ザ・スパイダーバース』はテクスチャーによる表現効果が映画全体で表現の主役に躍り出ていると言っても過言ではない。
アニメーションが本来動かないものを動かすという「意志」の表現で、実写は現実を再現する「意志」だとすれば、『アクロス・ザ・スパイダーバース』は、テクスチャーを自在に操るという新たな「意志」を映像に宿した記念碑的作と言える。
この映画には新しい映像意志が宿っている。本作は間違いなくアニメーション映画だが、その意味でただのアニメーション映画ではない、「テクスチャー映画」とでも呼ぶべき、新しい何かでもあるのだ。
■公開情報
『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』
全国公開中
監督:ホアキン・ドス・サントス、ケンプ・パワーズ、ジャスティン・K・トンプソン
脚本:フィル・ロード&クリストファー・ミラー、デヴィッド・キャラハム
声優:シャメイク・ムーア、ヘイリー・スタインフェルド、ジェイク・ジョンソン、イッサ・レイ、ジェイソン・シュワルツマン、ブライアン・タイリー・ヘンリー、ルナ・ローレン・ベレス、ヨーマ・タコンヌ、オスカー・アイザック
配給:ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
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