『らんまん』脚本・長田育恵の演劇的構成が光る 近年の朝ドラになかった“自由”への問い

『らんまん』が問いかける“自由”とは何か

 万太郎(神木隆之介)のモデルである植物学者・牧野富太郎は故郷・高知にいた時代、自由民権運動に関わっていた。『らんまん』(NHK総合)では、牧野が単に過度の植物オタクだったのではなく、植物を人間に見立て、無数の植物に名前をつけ分類していくことと、社会における人間、ひとりひとりの個性を尊重し、誰もが公平に生きていく願いを持っていたのではないかという解釈を、万太郎に託しているように見える。牧野の名言「雑草という草はない」の草を人間に置き換えて考えられるように物語が構成されている。

 だが、自叙伝によれば、熱心な自由党員だった牧野だが、その自叙伝では自由党の活動については手短に記すのみで、学問に励むために党を辞めたとある。ゆえに植物と社会運動とのリンクをモデルの牧野からはさほど強くは感じない。たまたま、時代の流れもあり、自由民権運動の求心力の板垣退助が地元民で、“郷里も全村こぞって自由当院であり”(自叙伝より)、牧野も当たり前に親しんでいたに過ぎない印象だ。それが『らんまん』では強烈に植物と社会・自由を結びつけている。

 第4週、第18話で、万太郎が高知に行った折、声明社という結社に所属する早川逸馬(宮野真守)の演説を聞く。逸馬が虐げられた民衆を草にたとえ、「卑しき民草と踏みにじられてはいかん」と民衆を煽ると、思わず「違う」と声をあげる万太郎。草は無力ではない、それぞれが生きる力を持っていて、根っこ同士つながりあうのだと反論すると、逸馬はそれを、「天賦人権」「生存の権利」「同志の団結」と置き換え、「我らは自由という地面に根を張るたくましき草じゃ」と民衆をさらに煽る。

 見方によっては、逸馬は政治に関わるだけあって、人たらしで、オルグ力(勧誘力)に長けているとも言えるだろう。言葉巧みに勢いよく大衆を乗せていく行為は一概に褒められたものではないと、ここであえて書いておきたいが、この時代は、こういうやり方が主流であり、かつ、民衆に気づきを与えるという点においては有効だったとも思う。

 ドラマの見せ方として、万太郎と逸馬のセリフの掛け合いは演劇的で見応えがあった。脚本家の長田育恵が演劇人であるからこそひじょうに手慣れている。新たな弁士と万太郎が讃えられるのは、神木隆之介の主演ドラマ『やけに弁の立つ弁護士が学校でほえる』(NHK総合)にも掛けているのかもしれない。

 おもしろいのは、万太郎は一瞬、この運動に心惹かれるも、すぐに植物愛に戻り、結社には入らず故郷に戻って研究を続けようと考えることだ。そのきっかけになるのは、ジョン万次郎(宇崎竜童)。坂本龍馬(ディーン・フジオカ)に次いで、実在の偉人がまたまた登場し、物語をもり立てた。

 ジョン万次郎もまた高知出身の偉人で、鎖国していた日本からアメリカに渡った稀有な人。帰国後は英語を駆使して活躍するが、アメリカのスパイと疑われ苦労もあった。アメリカにいたときが「自由」だったと、老いた身で悔いを残す万次郎を見て、万太郎は、今、自分のやりたいことをやるべきと思うに至るのだ。

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