志尊淳演じる竹雄に詰まった『らんまん』の時代性 視聴者の共感を呼ぶ主体性不足の問題
万太郎(神木隆之介)のはじめての東京行き。そこでこれからキーマンとなる人たちと運命的な出会いをする第3週は、これからはじまる物語の幕開けとして満足度の高いものだった。
峰屋の酒が博覧会に出品されるので当主として東京に行くことになった万太郎だが、博覧会は隠れ蓑、本音は彼が勝手に「心の友」と思っている植物図を描いた学者・野田基善(田辺誠一)と里中芳生(いとうせいこう)に会いたかったから。みごとに、ふたりに会うことができたうえ、ふたりとは植物愛を通してひじょうに馬が合いそうである。
万太郎は自分が漠然とやりたかったことが「植物分類学」であることを知り、その学問は日本ではこれからの可能性をもったもので、まだ新種の植物に名前をつけた日本人がいないことを知る。もしかしたら高知で見つけた植物は新種で、万太郎がその第一発見者かつ、名付け親になることができるかもしれない。名教館で学んだ語学力も、英語で論文を書くために役立ちそうである。研究意欲に火が着いた万太郎だが、同時に恋の火も着いた。
酔って木に登っていたところ、おりるように声をかけてきた寿恵子(浜辺美波)のことをひと目見て忘れられなくなってしまう。下戸なのにお酒を飲んでゲコゲコと騒ぎ、寿恵子に「あなたはどなたですか」と聞かれると「カエル」と答える万太郎を、素直に「カエル様」と呼ぶ寿恵子。万太郎は“カエルのお殿様”というファンタジックな存在となる。どストレートに、主人公が将来の妻に出会うという段取りにしないで、おとぎ話のような雰囲気を加えたことで、ふたりの出逢いの印象が一層強くなった。
野田と万太郎が時間も距離も遠く離れていても、わかり合えていたことを喜び抱き合う姿と、万太郎と寿恵子がふたりだけの言葉「カエル」で結びつく姿、どちらも、このふたりだけに通じる特別なものを交わし合っている。それを目の当たりにした竹雄(志尊淳)は激しい疎外感に襲われる。
竹雄は、綾(佐久間由衣)のことも密かに思っていて、でも身分違いだからその思いをしまい込んでいる。万太郎に対しても、あくまで当主と使用人というルールに即してお仕えしているつもりであったが、次第に、情が募っていくことに気づいているのかいないのか、決まりごととそれを超えた感情の2つのせめぎあいに苦しんでいるのだ。
万太郎も綾もそれぞれやりたいことを選ぶ自由とやらなくてはいけない義務との間で悩んでいて、もちろん苦しいのだが、いまのところもっとも苦しい立場にいるのは竹雄である。使用人という立場のため、主体すら見つけることができていないからだ。万太郎も綾も、主体があったうえでの葛藤なので、解決のしようもあるが、竹雄は、主人の命令がすべて。主人の命令に従って生きていけば楽ではあるが、その主人が自分を置いてどこか遠くに行ってしまったらどうやって生きていけばいいのかわからない。