『ブラッシュアップライフ』最大の“カタルシス”はプリクラ合わせ ドラマ史に刻まれた品格
毎週日曜の夜に、笑いと“ホロリ”と爽快な“カタルシス”をもたらしてくれた『ブラッシュアップライフ』(日本テレビ系)が3月12日に最終回をむかえた。「伏線と回収」──筆者はできればこの言葉を使いたくないタイプのライターなのだが、このドラマの中に回路図のように配置された「伏線と回収」の精巧さには平伏すしかない。
第1話に登場したキーワードやアイテムが、ほぼ全てその後の展開の“予告”になっていたり、麻美(安藤サクラ)とその幼なじみたちが繰り広げる「どうでもいい雑談」が実は物語の「核」であったことが明らかになっていく作劇が見事だ。
第1話の「どうでもいい雑談」の最中に初めて出てきた、麻美、夏希(夏帆)、美穂(木南晴夏)の3人が写った「熊谷ビューティー学院のポスターのポーズを決めたプリクラ」は、単なる「幼なじみあるある」「ローカルあるある」を表したアイテムだった。しかし最終話になると、これが大きな意味を持ってくる。夏希と美穂の2人、人生5周目の麻美と6周目の真里(水川あさみ)の2人、別々に撮った2つのプリクラが1つに合わさるとき、麻美の170年の人生、真里の200年の人生、そして「1周目の4人組に戻りたい」という彼女たちの悲願に思いを馳せ、テレビの前の我々は涙を禁じ得ない。
小学生の幼なじみたちで結成した「ドラマクラブ」内で「カタルシス」というワードが流行っていたが、『ブラッシュアップライフ』の最大のカタルシスはどこだろうか。やはり、この「プリクラ合わせ」のシーンではなかっただろうか。その前段で、麻美と真里が「夏希と美穂を乗せた旅客機とスペースデブリの接触を避ける」という最大のミッションを果たす操縦室のシーンは「海ゴキ」の話をしたりしてさらっと流して(もちろん、そこに至るまでは存分にドキドキハラハラさせてくれたものの)、ミッション完了の「ご褒美」として実現した4人での食事シーンを「最大の泣かせどころ」として持ってくる。これが本作の洗練性であり、「品」であった。
このドラマの図抜けた面白さの「縁の下の力持ち」が、この「品」ではないかと思う。本作の肝である、人物の「実在感」やリアルな日常会話、そしてその中にひっそりと仕込まれた「仕掛け」を最大限に輝かせるためには、「さり気なさ」が命綱だ。脚本・演出を含めた「作劇」としてやりすぎたり、ドヤってしまっては、絶対にいけない。それをやってしまった途端、このドラマをつかさどる「奇跡のバランス」が崩れてしまう。
ドヤらず地道に、リアリティにこだわった日常描写と会話のリアルさが、「主人公が人生を5周生き直すタイムリープドラマ」という突飛な設定に説得力をもたせ、「あるある」(日常)と「ないない」(ファンタジー)の行き来を自在なものにしていた。ホロリとさせたかと思ったら、すぐに「くすぐり」を入れて笑わす「スカし」の作劇も随所で効いている。こうした「さじ加減」の妙も、このドラマの品格だ。
もともと並外れた観察力と発想力に裏打ちされたバカリズムの「センス」が、本作の脚本でネクストステージに達したと思わされた。そしてその「センス」を、いちばん程よい「大衆性」に落とし込んだ企画と演出。主演の安藤サクラをはじめとした俳優陣の表現力と、抑制の効いたコメディセンスも白眉だ。笑えるシーンがたくさんあるのに、決して「シチュエーションコメディ」に見えず、物語として豊かな連続性を醸し出していた。脚本・演出・演者によるクリエイティビティの相乗効果に唸るばかりだ。
『ブラッシュアップライフ』が肯定するすべての人生 バカリズムの集大成と言える一作に
回を増すごとに面白さにドライブがかかってきている『ブラッシュアップライフ』(日本テレビ系)が、折り返し地点を過ぎた。2度目の死を…
麻美の1〜5周目、真里の1〜6周目を通じて、市役所職員、薬剤師、テレビ局社員、研究医、パイロット、保育士と、様々な職業が登場したが、その全ての描写にリスペクトが感じられたのも好ましかった。筆者は別稿「『ブラッシュアップライフ』が肯定するすべての人生 バカリズムの集大成と言える一作に」で、このドラマに宿る哲学として「誰の人生も肯定されるべきであり、どんな選択肢もある」と書いた。「地元あるある」「いろんな職業あるある」を手がかりとして、このドラマは「人間あるある」「どんな人生だってあるある」を描いていた。