『鬼滅の刃』の正義は“潔癖さ”にあり 今こそ見直したい、煉獄さんのヒーロー像
興行収入300億を超える大ヒットを記録した『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』が12月10日にフジテレビ系にて放送される。本作の初回上映は2020年10月ということもあり、今回の放送で2回目、3回目の視聴となるファンも多いだろう。
『鬼滅の刃』シリーズの中でも特に本作が注目を集めた理由は、やはり鬼殺隊最強の剣士である炎柱の煉獄杏寿郎の活躍にある。煉獄は熱血で仲間想い、そして炭治郎の良き兄のような存在でもあるが、そんな煉獄と対峙するのは上弦の参・猗窩座(あかざ)だ。
炭治郎たちにとっては煉獄を追い込む憎き鬼でありながら、実は猗窩座は原作ファンを中心に人気の高いキャラクターでもある。しかし原作を未読であろうとも、猗窩座が人気を集める理由は今回の「無限列車編」でも十分に垣間見えるだろう。
今回はそんな猗窩座の魅力をもう一度捉え直すと共に、鬼舞辻無慘に続く最凶の鬼から「鬼滅の刃における正義の形」を改めて紐解いていこう。
本当の強さとは何か
猗窩座は戦闘への探究心と強さへの異常なまでの執着の持ち主だ。初めて鑑賞した時の、煉獄へ向けた名台詞「お前も鬼にならないか?」のインパクトは今でも忘れられない。
「無限列車編」において観客が考えさせられるテーマの一つが、強さの在り方だ。猗窩座は鬼でありながら強者に対して敬意を払う、どこか“人らしさ”を感じさせる鬼でもある。煉獄の炎柱としての圧倒的な実力を評価し、武の道を極める者こそ目指すべきだとする「老いに翻弄されない強さ」を説く。
武芸への真っ直ぐな向上心と、ようやく剣戟を交える友を見つけたかのような心から嬉々とした表情に、悪しき鬼であることは分かっていながらも、猗窩座の「良さ」を感じてしまうファンは多い。
一方で煉獄の掲げる強さは「弱き人々を守るための強さ」であり、猗窩座の誘いに煉獄が揺らぐことは最期までなかった。猗窩座が煉獄を「杏寿郎」と下の名前で呼ぼうとも、煉獄は猗窩座を「君」と呼び続ける。いかに武術を極めた身であっても、その強さで多くの人々を傷つけた鬼でしかないことに対する煉獄なりの侮蔑なのかもしれない。
猗窩座を演じたのは『銀魂』の桂小太郎役や『新世紀エヴァンゲリオン』の渚カヲル役を務めた石田彰。本作を通して猗窩座ならではの声だけで感じられる静かな殺気と戦闘時に急上昇するテンションなど、石田の幅の広い表現を堪能できるだろう。