『作りたい女と食べたい女』が切り取る日常の違和感 様々な“当たり前”からの解放
『作りたい女と食べたい女』(NHK総合/以下『つくたべ』)は、同じマンションの同じ階に住む、利害関係がピタリと合う女性同士がたまたま出会うことから物語が始まる。タイトルの通り、料理好きだが自身は少食で一人暮らしのため、量を気にせず思いっきり好きなだけ料理を作ることができない野本さん(比嘉愛未)と、食べることが大好きで豪快な食べっぷりが気持ちいい女性・春日さん(西野恵未)の2人だ。“利害関係”なんて言葉を持ち出すとドライに聞こえてしまうかもしれないが、互いの欲望を臆することなく出し合えて“一緒にお鍋を空っぽにできる”相手として、互いに遠慮しなくてもいい心地良くフェアな関係性を手探りで築いていく2人の姿は、相手に対しても自分に対しても嘘がなく、とても実直で誠実で素敵だ。
春日さんは、魯肉飯はじめいろんな手料理を振る舞ってくれる野本さんに、食費を受け取ってほしいと申し出る。「お金を出してでも自分で料理を作りたい」と言ってそれを受け取ろうとしない野本さんと、「労力に対してお金を払うのは価値を明確にする上でも一番手取り早い手段だと思うんです。このままご馳走してもらい続けるだけだとお互いがフェアじゃない気がして私が嫌です」とはっきりと伝える春日さん。
料理を作るという行為を当然のことながら正当な労働だと考えているからこそ発せる言葉であり、いくらその行為自体を相手が好きだからと言ってそこに甘え付け込むことは“やりがい搾取”にも繋がりかねない。野本さんの手作り弁当を見て何の迷いもなく「良いお母さんになるタイプ」だと声を掛けたあの男性社員には、果たしてこの考えはあるのだろうか。料理をはじめ様々な家事についても“母親だから”“妻なんだから”当然のことだと、その役割ゆえに一方的に引き受けて当たり前だと勝手に帰結されてはたまったものではない。
「自分のために好きでやってることを全部男のためだって回収されるの、つれ〜な〜」という野本さんの心の声に身に覚えのある女性は少なくないだろう。こちとら時短や他でもない自分自身の気持ちを上げるためにやっている美容やおしゃれ、ピラティスやヨガなどを全て「女子力」なんて安易な言葉で片づけられては困るのだ。別に誰しもが“素敵な女子であろうとして”取り組んでいるだけではなく、それはもっともっと自分だけの楽しみでありご褒美で自己満足であっても良いだろう。ある人にとっては褒め言葉に聞こえるのかもしれない言葉が、必ずしも皆にとって等しくそうではない可能性があることに想いを馳せられない人は確かに存在する。