『エルピス』が示す権力との向き合い方 長澤まさみの嘔吐が意味するもの

『エルピス』長澤まさみの嘔吐が意味するもの

 言い出せない。薄い半透明のもやに覆われて、外部の音が遮断された環境にいる。ぼんやりと眠らされているような、生きているか死んでいるかも判然としない状態。どのくらい時間が経ったのだろう。誰かが遠くで呼んでいる気がする。声を出そうとするけれど、体が言うことを聞かない。そうしているうちに、次の眠りがやってくる。

 2022年最大の問題作『エルピスー希望、あるいは災いー』(カンテレ・フジテレビ系)第1話が10月24日に放送された。エルピスという言葉は耳慣れないが、パンドラの箱に最後に残ったものを指しており、希望とも厄災であるとも言われる。第1話では、私たちの社会が抱える冤罪というブラックボックスをめぐり、それを開けようとする人々の姿が描かれた。

エルピスー希望、あるいは災いー

 浅川恵那(長澤まさみ)は大洋テレビの女子アナ。路上キス写真を週刊誌に撮られたことで局エースの座を追われ、現在は深夜の情報番組『フライデーボンボン』でコーナーMCを務めるのみ。局内で落ち目の恵那に居場所はなく、心身の不調にも見舞われている。岸本拓朗(眞栄田郷敦)は若手のディレクター。弁護士の両親の元で、小学校から私立の名門校に通い、大洋テレビに就職した。現在は『フライデーボンボン』を担当しており、チーフプロデューサーの村井(岡部たかし)に怒鳴られる毎日だ。

 この2人があることをきっかけに冤罪事件に取り組むことになるのだが、そのいきさつがなかなかふるっていた。マスメディアの役割は正確な報道と権力の監視であり、冤罪という国家の誤謬を正すことはメディアのなすべき任務である。などという崇高な使命感から、恵那と拓朗が冤罪に目を向けたわけではない。もっと個人的な理由で、2人は冤罪事件に関わることになった。

エルピスー希望、あるいは災いー

 社会の矛盾を衝き、権力の横暴を告発する作品と聞くと、どこか身構えてしまう自分がいる。大上段から正義を語るストーリーは、子どもじみた単純さと机上の空論に陥りやすく、下手をすれば陰謀論と紙一重になりかねない。リアルを追究するはずが、内実の欠けた寒々しさだけが残る。欺瞞を暴く側が、かえって底の浅さを露呈する例は枚挙にいとまがない。

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