『エルピス』が示す権力との向き合い方 長澤まさみの嘔吐が意味するもの
そうならないために何ができるか。『エルピス』が採ったやり方は、正義の問題を個人の次元に還元することだった。「個人的なことは政治的なこと」という言葉がある。恵那の不調は、スキャンダルによる凋落に加えて、過去に担当した冤罪事件の特集で挫折感を味わったことに原因がある。拓朗はヘアメイクのさくら(三浦透子)に弱みを握られ、やむなく恵那に話を持ちかけた。さくらをのぞけば、恵那も拓朗も事件と直接的な関わりはない。だがそれでも、いやそれだからこそ、目先の切羽詰まった動機で動かざるを得ない2人には、そうするだけの理由がある。少なくとも、生煮えのスローガンを観念的にもてあそび、その実、自分がしていることを理解していない人間より数段信用できる。
村井にどやされてうろたえる拓朗も、「もう飲み込めない」と嘔吐を繰り返す恵那も、私たちと同じ地平にいる人間だ。あえて違う点を挙げるなら、彼らは自分自身をごまかしきれるほど不正直になれなかった。恵那のえずきは醜悪な現実を直視したことによるもので、サルトル的な実存感覚ともいえる。
権力に自己保存本能があるとして、冤罪を認めることは、国が自らの失敗を認めることに等しい。斎藤(鈴木亮平)が、村井が、恵那自身の過去の経験が、それは不可能だとささやきかける。実際に再審が認められる例はほとんどないが、放送時間を拡大してまでその困難さを強調する本作には、本気で向き合う覚悟があるのだろう。尋常ならざるテンションで「おかしいものはおかしい」と叫ぶ恵那は、たしかに呼吸をしていた。
■放送情報
『エルピスー希望、あるいは災いー』
カンテレ・フジテレビ系にて、毎週月曜22:00~放送
出演:長澤まさみ、眞栄田郷敦、三浦透子、三浦貴大、近藤公園、池津祥子、梶原善、片岡正二郎、山路和弘、岡部たかし、六角精児、筒井真理子、鈴木亮平ほか
脚本:渡辺あや
演出:大根仁ほか
音楽:大友良英
プロデュース:佐野亜裕美(カンテレ)
制作協力:ギークピクチュアズ、ギークサイト
制作著作:カンテレ
©︎カンテレ
公式サイト:https://www.ktv.jp/elpis/
公式Twitter:@elpis_ktv