『ジュラシック・ワールド』『海上48hours』など モンスターパニック映画の市場に迫る

なぜパニック映画は作られ続けるのか

 日本公開から1週間で興行収入20億円を超え、直近3年間に公開された洋画では、土日成績No.1を記録した『ジュラシック・ワールド/新たなる支配者』。

 新旧キャストが集結し、初登場の恐竜も多数。恐竜好き、怪獣好きの子どもから大人までが大興奮するアニマルパニック超大作だ。

『ジュラシック・ワールド/新たなる支配者』(c)2022 Universal Studios and Amblin Entertainment. All Rights Reserved.

 一方で同じく公開中の『海上48hours ―悪夢のバカンス―』も毛色は違うが、アニマルパニック映画である。他にもサム・ワーシントン主演で製作されるサメとシャチと人間の三つ巴の戦いを描いた『Alphas(原題)』や殺人ライオンとイドリス・エルバが対決する『ビースト』、そして『MEG ザ・モンスター』(2018年)の続編となる『The Meg 2: The Trench(原題)』など、多くの作品が待機している状態。

 世界各国で製作されていることもあって、毎年、毎年、大量のアニマル/モンスターパニック映画が世に放たれている。劇場公開作品はもちろんのこと、『シャークネード』のようなテレビ映画やインディーズのオリジナルビデオ作品なども含めてしまうと、とてもじゃないが把握しきれない量だ。

 そもそもどうしてこんな市場が出来上がっていったのだろうか……。

 それを知るには1933年の『キングコング』まで遡ることになる。初期のパニック映画というのは、差別的意識や社会風刺が色濃く出た作品が多い。『キングコング』だけに限ったことではないが、大きくて狂暴なゴリラは黒人奴隷のメタファーともされているし、『ノートルダムの傴僂男』(1939年)や狼男、フランケンシュタインの怪物からなる「ユニバーサル・モンスター」シリーズも、見世物小屋の障がい者がモデルとも言われている。

 ホラー映画も同様に、保守的な田舎の住人、先住民族を野蛮で恐ろしい存在として描くことで、アメリカが先住民族から土地を奪った罪悪感を中和していたとも考えられている。

 日本を代表する怪獣・ゴジラも、着想元である『原子怪獣現わる』(1953年)の設定を受け継ぎ、核実験によって目覚めるという設定にされているように、反核映画としての側面もあったのだ。一方でコジラが皇居を襲わないことから、戦没者の魂ではないかという説もあるが、そういった社会風刺を連想させるのも、パニック映画のルーツ自体が暗いテーマから成り立っていたからだ。

 今でこそ情報があふれ、アップデートされ続けることによって、ルーツは薄れているが、私たちが知っている有名なモンスターのルーツは、とても差別的だったり、社会風刺的なものが多い。

『海上48hours』
『海上48hours ―悪夢のバカンス―』(c)Vitality Jetski Limited 2021

 環境問題などに関して扱っているパニック映画は今もあるが、差別意識という点では、あまり感じられなくなってきている。その分岐点はどこだろうか。

 『キングコング』と『ゴジラ』が世界的ヒットしたことで、『恐竜100万年』(1966年)や『恐竜グワンジ』(1969年)など、恐竜や巨大生物を扱った作品は数多く制作されるようになったが、身近な動物の脅威を描くという点で大きな分岐点となったのは、やはりスティーヴン・スピルバーグの『ジョーズ』(1975年)といえるだろう。

 スピルバーグというのは、SF、怪獣オタクである。デビュー作のテレビ映画『激突!』(1971年)もトラック自体が意思を持っているかのように描くために、運転手は映し出されない。言ってしまえばこれもモンスターパニック映画。『キングコング』というよりは、怪獣というイメージの強い『ゴジラ』を意識しており、『ジョーズ』にいたっても同様である。

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