Keyが描く新しい少女たちの物語 『プリマドール』が紡ぐ“役割の在り処”とは?
役割とはどのようにして生まれるものなのだろうか?
私たちは社会生活を営む中で、意識的、あるいは無意識のうちに何らかの役割を担っている。役割という概念については、様々な言説が存在するが、その中でも印象的なのは、アメリカの心理学者セオドア・ニューカムによるものだ。
人は役割について共有の理解をもつために、ある地位を占める自分がなにをすべきかを知覚し、習得し、それによっておのれに対する役割期待をもつと同時に、他人の行動に対してもその地位からいかなる行動をしたらよいかを知るようになる。
(T・M・ニューカム『社会心理学』)
彼は役割という概念を、社会と個人の相互作用によって成立するものであると捉えている。
役割は私たちが一方的に課されるものではなく、かと言って私たちの一方的な言動により役割が生まれるわけでもない。私たちが期待をされ、それに対して個人としてどのように行動するかを選択していく過程で役割が生まれるのではないだろうか。
前段が長くなってしまったが、今回ご紹介する『プリマドール』はまさしく「役割」についての物語である。
本作は、数多くの「泣きゲー」を世に送り出し、シナリオライターの麻枝准が所属することでも知られるKeyによるメディアミックスプロジェクトとして、2022年7月に放送がスタートしたテレビアニメシリーズである。
『プリマドール』に登場するキャラクターたちの多くは「自立式機械人形(以下、「オートマタ」)」の少女たちだ。オートマタは、大戦争のさなかで兵器として作り出された機械とされている。
いつしか停戦協定が結ばれ、大戦争も終結、平和な社会が訪れようとしている。そんな平和な社会の中で兵器として作られた少女たちはどのように生きていくのか。『プリマドール』は、ポスト戦争時代における兵器として作られた少女たちの役割に焦点を当てた作品となっているのだ。
そして、本作における役割の描き方には、ニューカムが提唱したような相互性が垣間見える。
既に放送された第1話では、戦時中に絆を結んだ千代(人間の少女)と夕霧(オートマタの少女)が、戦争を経て再会するという物語が描かれた。
千代は夕霧のことを慕い、彼女のことを「お姉ちゃん」と呼んでいる。しかし、夕霧は論理機関の故障により、戦前の記憶を喪失しており、千代のことも忘れてしまっていた。夕霧にはもちろん、記憶があるふりをして、千代と関わり続けるという選択肢もあったはずである。しかし、彼女は千代のもとから去る決断をする。それはなぜか。
ここに役割の相互作用が関係しているのである。