伊藤健太郎の名演に心の成熟を考える 『冬薔薇』に込められた阪本順治監督のメッセージ

『冬薔薇』阪本順治監督のメッセージ

 リアルサウンド映画部の編集スタッフが週替りでお届けする「週末映画館でこれ観よう!」。毎週末にオススメ映画・特集上映をご紹介。今週はプライベートの時間をアニメ鑑賞に溶かし続けている間瀬が『冬薔薇』をプッシュします。

『冬薔薇』

「未成熟なるもののしるしとは、大義のために高貴なる死を求めることだ。その一方で、成熟したもののしるしとは、大義のために卑しく生きることを求めることだ」

 これはJ・D・サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』(村上春樹訳)の一節。本作を観終わったときにこの言葉が脳裏に浮かびました。みなさんは「自分は成熟している」と、胸を張って言えますか? 筆者はある程度は成熟しているつもりでいましたが、自分の心はまだまだ未成熟で青々しているなと、本作のエンドロールを観ながら思ってしまいました。

 主人公は伊藤健太郎扮する渡口淳。25歳の彼は何をするにも中途半端で、さすがにその歳でその甘えた精神はないだろう、と思ってしまうような振る舞いをたくさん見せます。彼は基本的に受け身で流されるように生きていて、困ることがあればそれっぽいことを口にしてやり過ごそうとしたり、子供のように愛情を欲する姿を見せたりと、明確に未熟さを抱えた人物として描かれます。

 阪本順治監督は本作の脚本を作るにあたって、伊藤に数時間に及ぶヒアリングを行っています。そこで感じた印象をもとにして主人公が寄る辺なく漂う話にした、とプレスの公式インタビューで語っていますが、淳について阪本監督は「僕自身がずっと抱えてきた欠落感や未成熟さも、多分に含まれていると思う。(中略)主人公・渡口淳の“淳”は、実は阪本順治の“順”でもあるんです(笑)」とも告白しています。

 つまり、淳が抱える未熟さは、私たちの中に未だ存在する未熟さを映してもいるのだと思いました。そのために、荒唐無稽な振る舞いをする淳の姿が、筆者にとって他人事だと思えないのです。阪本監督の作品は「自分の尻は自分で拭けるか」ということを問うていますが、本作はそれが強く感じる脚本となっていると感じました。そして、そういった淳を演じるのが伊藤というメタ的な視点でも見つつ、流されて生きる若者役を見事に演じていたのが印象的でした。

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