『勝手にふるえてろ』『私をくいとめて』『ひらいて』 綿矢りさ原作主人公に惹かれる理由
熱い何かが心の奥で駆け巡る。綿矢りさの作品のヒロインたちはいつも、そんな衝動をもて余しながら毎日を駆け抜けてきた。鬱屈した熱を持ったヒロインたちは映像化され、ますます生身の人間としての“リアル”を提げ私たちの前に現れるのだ。
『勝手にふるえてろ』(2017年)、『私をくいとめて』(2020年)はどちらも大九明子監督により映画化され、女性たちの一筋縄ではいかない胸中が生々しく、そしてコミカルに描かれる。また、2021年には首藤凜がメガホンを取った『ひらいて』(も公開された。どの作品も女性を主人公に日常で起こる出来事が綿密に描写され、時にヒロインの大胆な行動は私たちにパワーをもたらす。今回はそんな綿矢りさ原作映画から3作品を軸に、なぜこれほど強烈に心を震わせる力を持つのかを紐解いていきたい。
松岡茉優の好演が光った『勝手にふるえてろ』は、そのリアルな女性の心理描写が突き刺さる作品だ。痛々しい自意識や、突っ走る向こうみずさがユーモアたっぷりに描かれているが、時に心当たりがありすぎて目を背けたくなるほど。ヨシカ(松岡茉優)の頭の中で理想化された「イチ」(北村匠海)と、自分に好意を抱く「ニ」(渡辺大知 )の間で揺れ動く恋心は、理想の恋愛と現実の恋愛を描いたと捉えれば決して珍しいシチュエーションではないだろう。本作はそんな些細な恋心をきっかけとする出来事を大きく膨らませ、バランスを崩した無様な姿を、目を覆いたくなるほどリアルに観客に訴えかけた。早い人なら学生のうちに傷つき、時間と共に癒えながら卒業していくような感情に20代半ばで足を取られているヨシカの姿は、決して他人事ではない。他者にとっての個人を象徴する名前をないがしろにしてきた未熟さがブーメランとなってヨシカに突き刺さる姿、そしてそれを受け止めずにイチから逃げ去る様子を客観的に見ることで、なおさらその痛々しさが染みるのだ。しかしこうした描写の中には、普通なら躊躇するようなことにさえ突っ走れる力強さも秘められており、自分が小さくまとまっていたのではないかと反省すらしてしまう。
さらに、のんが主演を務めた『私をくいとめて』もまた、大きく頷きたくなる作品である。脳内の「A」と会話をするという一見個性的なヒロイン・みつ子(のん)が、恋をすることで一歩踏み出すストーリーには、浮ついた恋のみずみずしさと共に、他者と交わることで起きる摩擦に消耗するさまもリアルに描かれる。「A」(中村倫也)は決してみつ子を否定しないし、悩ませたりしない。肯定し背中を押してくれる心地のいい存在だ。しかし人はそれだけでは生きていけない。私たちは心のどこかでそんな真実をわかっていながら、その一方でみつ子と同じように暖かな場所だけを追い求めて生きたいと願ってしまうことも事実だろう。本作もまた、わかると頷きながら心のかさぶたがじくじくと疼く映画である。脳内のイマジナリーフレンドに承認欲求を託していたみつ子が一歩を踏み出そうともがく姿には、自分もまた背筋が伸びる思いだ。