『ちむどんどん』と『ゴールデンカムイ』に通じるスタンス 食事を通して“生死”を描く
それを一番強く感じたのが第4話だ。東京からやってきた民俗学者の青柳史彦(戸次重幸)とその息子・和彦(田中奏生)を歓迎するため、比嘉家は家に青柳親子を招待し、ご馳走を振る舞う。そこに並べられたラフテー(豚肉を醤油で煮た料理)の材料が、長男の賢秀(浅川大治)が育てていた豚のアババだったことが食事中にわかるという何とも気まずいシーンがある。父親の賢三(大森南朋)は「黙って(アババを)潰したのは悪かった」と賢秀に謝った後、こう語りかける。
「生きているものは他の生き物、植物や動物を食べないと生きていけない。人間もおんなじさな。『いただきます』とは命をいただくこと。だからきちんと感謝しながら綺麗に食べてあげる。それが人の道。筋を通すということさ」
父の言葉を聞いた賢秀は、暢子たちと共に感謝の気持ちを込めてラフテーを食べる。楽しげな劇伴の印象もあってか、最初にこのシーンを観た時は悲しんでいいのか笑っていいのかわからず戸惑ったが、料理とは「生き物を殺して食べる行為だ」という現実をはっきりと見せたかったのだろう。
節々に誰かが何かを食べているシーンが挟み込まれる『ちむどんどん』は『孤独のグルメ』(テレビ東京系)のようなグルメドラマのテイストを朝ドラに持ち込んだ作品だと言える。だが、深夜に放送されている多くのグルメドラマと違うのは、生き物を殺して食べているという「死」の影が張り付いていることにある。
このあたりは殺した動物を美味しそうに食べる姿をあっけらかんと描いた野田サトルの漫画『ゴールデンカムイ』(集英社)にも通じるスタンスだ。食事というもっとも「生」を感じさせる行為の裏側には必ず「死」が存在することを『ちむどんどん』は提示している。
この生と死の関係は、そのまま本作の人間観、沖縄観にもつながっている。第2話では比嘉家の夫婦が青柳史彦とお互いの戦争体験について語り合う姿が描かれており、暢子が母・優子(仲間由紀恵)が空襲のことを思い出して泣いている姿を目撃する場面もある。
生と死は表裏一体。そのコントラストが極端なため「もう笑うしかないよね」という達観すら感じる。
物語は3周目に入ると沖縄の本土復帰を目前に控えた1971年が舞台となり、高校3年生になった暢子を中心とした比嘉家四兄妹の群像劇が進行している。父を亡くし、貧しい暮らしと女性差別に暢子は苦しんでいるが物語のトーンは明るくユーモラスだ。沖縄の日差しのような光と闇の極端なコントラストがどこにたどり着くのか、これから楽しみである。
■放送情報
連続テレビ小説『ちむどんどん』
総合:午前8:00〜8:15、(再放送)12:45〜13:00
BSプレミアム・BS4K:7:30〜7:45、(再放送)11:00 〜11:15
※土曜は1週間を振り返り
主演:黒島結菜
作:羽原大介
語り:ジョン・カビラ
沖縄ことば指導:藤木勇人
フードコーディネート:吉岡秀治、吉岡知子
制作統括:小林大児、藤並英樹
プロデューサー:松田恭典
展開プロデューサー:川口俊介
演出:木村隆文、松園武大、中野亮平ほか
写真提供=NHK