アカデミー賞作品賞受賞が変化のきっかけに? 『コーダ あいのうた』が映画界にもたらすもの

『コーダ』オスカー受賞がもたらすもの

 なにしろ日本の映画界においては、いかに製作費をペイできるかというギリギリのラインで作られる作品も多く、既存の人気俳優を配することで動員を稼ぎ、作品の認知を高めて製作費を回収するといった試みがしばらく繰り返されている。作品のクオリティを重視している作り手ももちろんいるが、どんなに素晴らしい理念やアイデアを持っていてもそこに金銭的なハードルはどうしても立ちはだかる。ましてやスタッフも俳優も下っ端扱いされればまともな契約を交わされないこともしばしばで、昨今ようやく取り沙汰されるようになった配役過程における性犯罪もしかり、労働環境における根本の部分の問題解消すら追いついていない。

 そんな未整備で、かつ排他的な環境にいきなり急速な変化を求めることはさまざまな面でリスクが大きすぎる。本来であれば、こういう時にこそリスク分散型の“製作委員会方式”が役立つべきではある。例えば大手の会社が興行的な成功作で得た利益を循環させるようにして、産業全体の制作環境を整備し、同時にさまざまな人々に機会を与えるような作品づくりを進めていく。目先の興行重視の作品と、クオリティ重視の作品や産業全体の将来を重視した作品とをバランス良く作っていければ、作り手も観客も自然と育っていき産業全体の活性化にもつながるはずだ。もちろん即座に結果を求めることは賢明ではない。一度根付いたシステムは、良いものも悪いものもそう簡単には変わらない。トライ&エラーを繰り返して、ひとつひとつ順序立てて解決していくような長い目で見る必要がある。

 閑話休題。対照的に健聴者が役作りのために手話を覚えてろう者もしくは難聴者を演じること(ここ最近日本のテレビドラマでもよく見かけるようになったが)が、一概にダメだとは言い切れない。手話は一つの毅然とした言語であり、役作りのためとはいえ手話を覚える人が1人でも多くなればコミュニケーションの機会は格段に増える。例えば既存の人気俳優が手話で演じているのを見て興味を持つ人が増えるのであれば、それはそれで悪いことではない。それまでマイノリティに関わってこなかった人が、少しでも知るきっかけになることも悪いことではない。当事者ではない俳優が演じることによって、マイノリティへの誤った認識が植え付けられるという意見も見かけたが、それは作り手と受け手の意識の問題であり、前述した雇用機会の問題を一旦置いておけば順序のひとつとしては必要なものと考えることもできる。ましてや、マイノリティと大きくくくったところで1人1人が違った人間であり、パターン化はできないのである。

『コーダ あいのうた』(c)2020 VENDOME PICTURES LLC, PATHE FILMS

 『コーダ』においては主人公のエミリア・ジョーンズは、実際のコーダでもなければ手話に触れて育ってきたわけでもないが、撮影に臨むにあたって9カ月間の手話トレーニングに励んでASL(アメリカ手話)を習得。また撮影現場にはアレクサンドリア・ウェイルズというASL監督を迎え、細部に至るまで修正を加えていったという。ろう者の日常的な部分を描く本作においてそのプロセスは適切であり、作品のリアリティを高めるという面においても雇用機会の面においても、作り手の意識と向き合い方が重要であることがよくわかる。とはいえもうハリウッドではボーダーが完全に取り払われているのかといえば決してそんなことはない。少なくとも本作のように劇中言語の一つとしてASLが用いられている劇映画は、『クワイエット・プレイス』のようなヒット作もあるが、まだまだ少ない。今回の作品賞受賞の栄光は、あくまでも変化の“きっかけ”であり、映画界がいままさに変わり始めていることをアピールするものなのだ。

 さて、今回の授賞式全体を見渡してみると、近年の視聴率低迷に対処するようにサクサクと油断する隙さえ与えない番組としての巧妙さが垣間見える一方で、過去の名作のトリビュートをはじめとした話題作りに勤しむあざとさはどうしても目についた。しかも授賞式直前まで紛糾していた複数部門のテレビ中継からのカットに関していえば、進行のスピード感と授賞式中に編集したスピーチ映像を流す一連を踏まえれば、放送時間短縮のための意図が感じられず、ただ敬意を欠いただけに過ぎなかった印象だ。それでもショー自体の見応えは復活しており、アンソニー・ホプキンスやジュディ・デンチら大物の出席も含めて映画界が元に戻りつつあると実感することができた。

 日本の映画ファンが最も注目したであろう『ドライブ・マイ・カー』は、国際長編映画賞の1部門受賞にとどまったわけだが、数日前の最終投票開始前後でノルウェー代表の『わたしは最悪。』が急速に勢いづいていたことを考えると、何とか凌ぎ切ったという安心感が大きい。国際長編映画賞の日本映画の受賞は『おくりびと』以来13年ぶり(当時は外国語映画賞)。ヨーロッパ偏向のこの部門を制しただけでなく、作品賞と監督賞にも名を連ねたことは現代日本映画にとっての大きな財産であり、今後こうしたチャンスがまた巡ってくることを楽しみにしておきたい。

■公開情報
『コーダ あいのうた』
全国公開中
監督・脚本:シアン・ヘダー
出演:エミリア・ジョーンズ、フェルディア・ウォルシュ=ピーロ、マーリー・マトリン
配給:ギャガ
原題:CODA/2021年/アメリカ・フランス・カナダ/カラー/ビスタ`/5.1chデジタル/112分/字幕翻訳:古田由紀子/PG12
(c)2020 VENDOME PICTURES LLC, PATHE FILMS
公式サイト:gaga.ne.jp/coda

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