小松菜奈&坂口健太郎の“涙”が生み出すもの 『余命10年』に収められた“生きた感情”
さて、俳優たちにとって“泣く演技”とは何なのか。そして演技における「涙」とは何なのだろうか。この疑問は、「人はどんなときに涙を流すのか?」という問いに繋がる。長らく涙を流していない方もいるかもしれないが、私たちの多くはさまざまなシーンで涙を流す。悲しくて流す涙もあれば、あまりの嬉しさから流す涙もあるだろうし、あくびをした後のように生理現象として流す涙もある。3つめの生理現象として流すものを除くと、涙とはそう簡単に流れるものではないと思う。年齢を重ねればなおのこと。人によって程度の差はあるだろうが、涙が流れるに至るには、感情の大きな動きがあるはずである。
このことを考えると、「演技」と「涙」というものは実に矛盾したものに思えてしょうがない。そもそも「演技」とは、“技術”によって“演じて”みせるものだ。身も蓋もない言い方をすれば、それは“嘘”だということである。俳優はこの“嘘”を、いかに“真実”に近づけられるか/変えられるかを問われる職業だ。怒ったり、叫んだり、笑ったりする行為に、本当に感情がともなっているのかは判断が難しい。しかし先述しているように、涙は感情が動いた結果として生まれるもの。それは「演技」から逸脱した、極めてコントロールが困難な“真実”が垣間見える瞬間なのである(もちろん、涙を自由自在に操る特殊スキルを持った俳優もいるのだろうが……)。
『余命10年』には数々の「涙」が見られる。「涙」が表象するものーーそれは、人間の“生きた感情”である。だからこそ「涙」が見られるシーンは、結果として胸に焼き付くような忘れがたいものとなるのだ。これを本作は繰り返し描写することで強調し、“生きること”というテーマをより全面に押し出すことを実現させている。「涙」とは「生」の証。俳優の「涙」とは、いわば映画に流れる血なのである。
■公開情報
『余命10年』
全国公開中
出演:小松菜奈、坂口健太郎、山田裕貴、奈緒、井口理、黒木華、田中哲司、原日出子、リリー・フランキー、松重豊
音楽・主題歌:RADWIMPS「うるうびと」(Muzinto Records / EMI)
原作:小坂流加『余命10年』(文芸社文庫NEO刊)
監督:藤井道人
脚本:岡田惠和、渡邉真子
配給:ワーナー・ブラザース映画
(c)2022映画「余命10年」製作委員会
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