『偶然と想像』など濱口竜介監督作品、海外でなぜ高評価に? 作品づくりに感じる強い意志
演劇が重要な要素となる『ドライブ・マイ・カー』に、舞台俳優たちが、椅子に座って台本を読み合う稽古風景が映し出される一場面がある。そのやり方は奇妙で、俳優たちは出来るだけ感情を込めずに棒読みでセリフを読みあげなくてはならなかった。少しでも感情を入れると、演出家に怒られるのである。じつは、そのやり方は濱口監督自身が、実際に俳優に対して行っている演技指導であるという。
なぜ、そのようなメソッドが必要なのか。その理由こそが、ものごとを「曖昧なままに受け取る」という姿勢だったのではないのか。そして、『ドライブ・マイ・カー』という作品が、妻を失った男の物語を追うことで到達した結論もまた、同様の境地であったように思えるのである。
もちろん、現実の人間の多くは、あらゆる局面で感情を表すものだ。だから俳優たちは多くの場合、最終的には演技に感情を込めなければならない。しかし、台本を曖昧なままに受け取るというプロセスを踏むことで、自分の中にある常識や価値観、世間的なものの考えとは違った領域で、その内容をなぞることとなる。ものごとが“凡なるもの”に堕落する前に救い出す……つまり、濱口監督の作品づくりには、日常的な題材であっても、ありきたりで記号的な表現から可能な限り自由になろうという、強い意志が存在するのである。
3つ目のエピソード「もう一度」は、仙台駅の周辺を舞台に、占部房子と河井青葉が演じる、二人の人物の高校時代の思い出をめぐる物語が展開する。コンピューターウィルスによって、デジタルでの交流がだめになったというSF的な設定も印象的で、現実のコロナ禍の下での不便な交流を、別の方向から想起させるところがある。
3つのエピソードに共通するのは、タイトル通り“偶然”のできごとがあり、“想像”が物語を転換し駆動させていくという構図である。現実の世界には小さな奇跡や落とし穴が存在する。そして困難に直面したり喪失感を味わっている人々は、ままならない状況をイメージの力によって乗り越えようとするのである。社会生活を送る人間たちにとっての、現実へのささやかな抵抗……。そんなテーマは、記号化され意味づけられることで輝きを失うことに抵抗し続ける、濱口監督にとっての作品づくりの姿勢そのものに重ねられているといえるのだ。
濱口監督の作品が、海外で高い評価を得る理由もまた、まさにそこにあるといえるだろう。そこには、ありきたりな物語や演出に飽き飽きした観客や批評家の心を躍らせるような魅力が存在する。だがそれだけに、観客の側にもある種の素養が要求されるのも事実で、現在の日本で、本作のような映画が広く訴求されるようなものになり得ないという事情も理解できなくはない。しかし、濱口作品の海外での評価は、そんな状況を変え、映画や物語から、魅惑的な体験を能動的に引き出すような観客を増やしていく契機になるかもしれない。その意味で、濱口監督作品は日本映画にとっての、一つの希望となっているのである。
■公開情報
『偶然と想像』
Bunkamura ル・シネマほか全国公開中
監督・脚本:濱口竜介
出演:古川琴音、中島歩、玄理、渋川清彦、森郁月、甲斐翔真、占部房子、河井青葉
プロデューサー:高田聡
撮影:飯岡幸子
制作:大美賀均
エグゼクティブプロデューサー:原田将、徳山勝巳
製作:NEOPA fictive
配給:Incline
配給協力:コピアポア・フィルム
2021年/121分/日本/カラー/1.85:1/5.1ch
(c)2021 NEOPA/fictive