『偶然と想像』など濱口竜介監督作品、海外でなぜ高評価に? 作品づくりに感じる強い意志
『ドライブ・マイ・カー』が、カンヌ国際映画祭ほか、国内外の映画賞を次々に受賞している。とくにアメリカでも高く評価されているのが特徴で、ニューヨーク、シカゴ、ロサンゼルスなどの映画批評家協会賞でさまざまな賞を受賞するなど、アカデミー賞を前に、日本映画として近年例を見ないほどの快進撃を巻き起こしている状況だ。面白いのは、そんな作品を日本の観客がそれほど観ていないという事実。日本での興行収入ランキングのデータを見ると、2021年に公開された全ての日本映画の中で、トップ50にも入れていないのである。
しかし、最近の海外での『ドライブ・マイ・カー』旋風により、その監督を務めた濱口竜介の新作『偶然と想像』は、小規模公開ながら、かなり注目されているようだ。『偶然と想像』自身もベルリン国際映画祭で銀熊賞(審査員グランプリ)を受賞するなど、同じく海外で評価されていることも大きい。筆者が渋谷の「Bunkamura ル・シネマ」で鑑賞したときは、公開館数が限られていることも影響したとはいえ、公開約1カ月後のタイミングでシアターが満席となっていたことに驚かされた。
そのように熱気に包まれた『偶然と想像』の出来は、期待を裏切ることのないものだった。それぞれ2、3人の登場人物の関係を舞台劇風に描く、スケールの小さな3話のオムニバス構成で、ボリュームの少ないエピソードの連続や、散りばめられたユーモアが軽やかな印象を与え、長編とはまた違った方向から楽しみを観客に提供しているのだ。しかし、さすが濱口竜介の監督、脚本作品である。『ドライブ・マイ・カー』と同様、人間のおそろしい一面や狂気を感じられる瞬間が、劇中で何度も訪れ、日常から突如として異空間に連れ去られてしまうような感覚が味わえる内容となっている。
最初のエピソード「魔法(よりもっと不確か)」で描かれるのは、恋愛におけるさまざまな感情であり、そのなかには狂気をともなうネガティブな激情をも含まれる。モデルの芽衣子(古川琴音)は、友人でもあるヘアメイクのつぐみ(玄理)とともに、仕事を終えてタクシーで帰路についている。その車内でつぐみは、理想の男性に出会えて“魔法のような”時を過ごしたことを、嬉しそうに報告する。芽衣子は囃し立てるようにその話を聞いていたが、つぐみがタクシーを下車した後、表情を一変させて、来た道を戻るように運転手に指示する。楽しいはずのガールズトークの場面から、映画は一転して不穏な雰囲気に包まれるのだ。
「『ドライブ・マイ・カー』脚本の魅力を徹底解説 “解釈の遅延”という発想とジャンルの横断」でも書いたように、ここでの脚本や演出の面白さは、核心を隠したまま物語が進行することで、観客を幻惑させるという部分だ。しかも、この後に用意された展開や決着は、すぐに予想ができるような、ありきたりなものではない。
一目で状況が理解できるような場面が用意されず、説明的なセリフもないため、観客はそこで交わされる会話の内容や、俳優たちの演技を基に、少しずつ登場人物たちの関係性や人間性を理解し、その輪郭を手探りでなぞっていくことになる。画面に映し出されるものが、日常の出来事や情景であったとしても、それらはあたかもミステリーやサスペンスであるかのように思えてくるのである。
この手法は、韓国のホン・サンス監督作品にも見られるものだ。おそらくはそれを意識しているのだろう、このエピソードでもホン・サンス監督作品同様、不意にカメラがズームするという、異様な演出が存在する。“必殺技”のように使われるズームは、エピソードの題材である“魔法”を効果的に演出している。
ある大学の教授(渋川清彦)と、彼を研究室で誘惑しようとする学生(森郁月)との駆け引きが、意外な方向に展開する、第2のエピソード「扉は開けたままで」は、前述したような濱口監督の特異な演出意図を表すようなヒントが描かれることになる。
女子学生が、状況に流されてしまったり、取り立てて長所のない自分への失望を語ると、教授は「あなたには才能があります」と、語りかける。その才能とは教授いわく、“現実を曖昧なままに受け取ることができる”といったものだという。つまり現実の出来事を、これまでの常識や社会の価値観に沿って単純化しないということだ。教授の考えでは、それができるかどうかが、非凡かそうでないかを分ける基準になっているのだ。