『鬼滅の刃』の令和的な物語構造を分析 映画批評にスタジオの観点を取り戻す?

作家にとらわれない批評の形式

渡邉:日本で1番ヒットした映画が『劇場版「鬼滅の刃」 無限列車編』という物語の途中のエピソードであることも非常に今風ですよね。映画が「起承転結がある1つのパッケージとして売られるもの」というのが古典的だったとすれば、非常にサブスク的な映画消費になっている。海外の世界的な興行収入ではジェームズ・キャメロン監督の『アバター』が返り咲いてトップになっていますが、以前はマーベルの『アベンジャーズ/エンドゲーム』がトップだったと。世界では『アベンジャーズ』、日本では『鬼滅の刃』であることがアナロジーで、マーベルのヒットも『鬼滅の刃』現象とよく似ています。一方では、作り手という意味でも今までのヒット映画は、宮崎駿やスティーヴン・スピルバーグといった非常に強い作家の固有名と結びついて批評的なロジックが成り立っていましたが、ufotableには特権的な固有名はないということも映画史的にも変わっていると思います。

杉本:映画の批評において「映画は作家のものである」という前提がこれからは通用しなくなる可能性が出てくるということですね。そうなるとこれからは監督の名前は重要ではなくなるのでしょうか? 

渡邉:もちろん映画界のスクリーンがなくならないのと同じように、これからも作家主義みたいなものはなくならないと思いますが、『鬼滅の刃』やマーベル映画を評価するときに少なくとも複数のバロメーターが必要になるということは間違いないと思います。

 杉本:作家主義の文脈だけを知っていれば批評ができる時代は終わったということですね。そういう意味ではディズニーは昔から作家の名前でやってきませんでしたが、ディズニー的なものが今強いというのは時代に呼応したものとして捉えていいのでしょうか?

渡邉:ディズニーもそうですし、ポジティブに捉えれば過去の映画史やアニメ史の見直しになっています。例えば『男はつらいよ』シリーズのように、実際にリアルタイムで上映されていて人気もあって一定の評価も確立されていたけど、作家では語れなかったようなシリーズものや連作が映画史ではあります。今後作家にとらわれない批評の仕方ができるのであれば、かえって過去の作品もポジティブにできるかもしれないという可能性があって面白いと思います。

杉本:どうしても我々は最初に監督の名前や何のシリーズなのかに注目してしまいますが、それも改めた方がいいかもしれないですね。

渡邉:だから映画研究とかアニメ研究で「スタジオ史」といった研究領域も出てきていますが、そういうものとも呼応する変化です。

杉本:昔、日本には撮影のシステムがあったので、「松竹には松竹の味があり」というような撮影システムを研究するということでスタジオ史を語ってきた人もいましたね。 

渡邉:極端に言ってしまえば、蓮實重彦さんのような方が、文芸批評や思想の語り口を映画批評に導入して80年代の映画批評がアップデートされたというところもあったかもしれないですね。昭和30年代〜40年代は「松竹だったら」「東映だったら」というスタジオ面での批評の語り口が多かったと思います。

杉本:これからはスタジオやユニバースの時代になっていくのかもしれないですね。是枝(裕和)監督もNetflixでシリーズものをやりますが、シリーズプランナーという立ち位置で若手の監督を投入して作るそうです。監督として今まで作家性をふるっていた人たちのポジションが少しずつ変わっていく可能性がありますよね。そういう意味では『鬼滅の刃』というもののコンテンツの成功を誰が仕掛けたかというのは、『少年ジャンプ』のプロデュース力や編集部の積み重ねがあって成り立っているもので、映像作品を観ているだけではたどり着けません。 

渡邉:『無限列車編』を劇場版としてピックアップしたというのは非常に成功でしたよね。

杉本:列車というのが僕としてはスクリーン映えする題材だと思います。夜の暗闇がスクリーンの暗闇に同化して見えるというのも劇場で観る体感レベルを上げる効果もあっただろうし、単純にエピソードの長さだけではなくて、映画館で観た方がいい理由がたくさんあったと僕は思います。僕は『無限列車編』の公開時にリアルサウンドで“列車映画”という切り口で強引に映画史に位置づけました(参照:劇場版『鬼滅の刃』を“列車映画”の観点から読む エモーションとモーションの連動が作品の醍醐味に)。やや強引だなと思いつつ、それでも位置づけた方がいいかなと思ったんです。「漫画原作のテレビアニメが劇場版になったものでも映画の歴史が受け継いできたものが流れている」ということが言いたかったんですよね。

渡邉:列車というのが非常に映画的なガジェットですよね。さらに画面の作りとしては、奥行きから手前にわーっと来る縦の構図とスクロールで右から左、左から右に横切るという横運動のイメージがあるのがすばらしいです。一方で、物語の中で“無意識領域”という無意識に落ちていくという設定があって、“無意識”や“夢”というのもまさに映画的なので、本当に映画的なメタファーが含まれているエピソードでした。あと、1回映画でやったのをもう1回テレビアニメでやるというのも倒錯的だと思います。

杉本:珍しいですよね。テレビアニメを総集編にして映画にすることはよくありますが、映画を分割してテレビでやるというのは、煉獄さんが人気な故に成立していると思いますが。改めてテレビ版を観るとやっぱり細切れだと列車のノンストップ感が感じられなくて、映画の方がいいと思いました。そういえば、前に劇場版を放送した際にCMがたくさん入っていて、“各駅停車”というふうに揶揄されていましたね(笑)。ああやって頻繁に止められちゃうと列車という舞台の面白さが半減してしまうので、ノンストップで2時間駆け抜けるというのが大切だと思いましたね。

ーー確かに劇場版をテレビアニメとして放送したという試みは新しかったですね。12月からはテレビアニメ版の新作として「遊郭編」がスタートしましたが、このエピソードについてはいかがですか?

杉本:『鬼滅の刃』の中で1番好きなエピソードです。理由は端的に言うと暗いからですかね。あとはものすごいトラウマを抱えた敵が出てきて、それと戦う宇髄さんもトラウマを抱えているという、トラウマ対トラウマの非常に濃密なドラマが展開されるので見ごたえがあるんですよね。遊郭は社会から捨てられた人たちや、社会の理不尽を背負って生きている人たちが集まるところであり、そういう理不尽が鬼を生んでいるということに繋がってくる。そういう過激な、苛烈な人間ドラマがあることや遊郭の実態をどこまで映像で突っ込んで描くのかという面で、非常に楽しみにしています。

渡邉:誰でも鬼になる可能性がある、遊郭の内と外という社会と社会の外の境界を今のリアルにも繋がるような展開がされているのが遊郭編だと思います。遊郭編は鬼側の悲惨な過去や心情が丹念に描かれている回なので、劇場版よりテレビシリーズで丹念に、1回ごとに描いていくことが良いエピソードだと思います。それに炭治郎と禰豆子に繋がるような兄妹のエピソードが鏡合わせになっているものでもあるので、物語の中でも転換点になるというか。そういう意味で非常に面白いエピソードだと思います。

※煉獄杏寿郎の「煉」は「火」に「東」が正式表記。

■放送情報
TVアニメ『鬼滅の刃』遊郭編
フジテレビ系にて、毎週日曜23:15~23:45放送
キャスト:花江夏樹、鬼頭明里、下野紘、松岡禎丞、小西克幸、沢城みゆき、石上静香、東山奈央、種崎敦美ほか
オープニングテーマ: Aimer「残響散歌」
エンディングテーマ: Aimer「朝が来る」
原作:吾峠呼世晴(集英社ジャンプ コミックス刊)
監督:外崎春雄
キャラクターデザイン:松島晃
アニメーション制作:ufotable
(c)吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable
公式サイト:https://www.fujitv.co.jp/kimetsu

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