『カムカムエヴリバディ』るいは新天地へ 残された“ミセス雉真”の雪衣について考える
『カムカムエヴリバディ』(NHK総合)第39話から始まった“るい編”は、雉真家の現状を映すところから始まった。病を患っていた千吉(段田安則)は、勇(村上虹郎)に一つの頼み事をする。「暮らしぶりがどんどん変わり、需要が少なくなっても、足袋は作り続けてくれ」ということだ。それを約束され、安心する千吉。勇が“後継”も作ってくれたからこそだが、一つの心残りはるい(深津絵里)だった。あれだけ明るかった彼女が、笑わなくなったこと。自分が安子(上白石萌音)と彼女を引き離すようなことをしなければ、と千吉は後悔していたのである。
るいが笑わなくなった。この一言で、安子不在時の雉真家の様子を様々な形で想像することができる。もちろん、大好きなお母さんが自分を置いてアメリカに行ってしまったという事実が彼女から笑顔を奪ったとも言えるが、それ以上に雉真での居心地が悪かったのではないだろうか。もともと、安子と一緒に連れ戻されて暮らし始めた時も母が居候扱いされたり、自分は女中に変なことを言われたりしていたわけだ。そして何を隠そう、あの女中が今や“ミセス雉真”なのだから、お馴染みの「意地悪な継母問題」も浮上したかもしれない。
千吉の葬式の日に描かれた、勇と雪衣(岡田結実)、そして息子・のぼるによるコミュニケーションは、少し冷めた印象があった。テレビを観続ける妻に、離れたところで勉強をする息子。勇だって雉真の代表として忙しいだろうし、普段から遅くまで働いているのだとしたら、納得の光景でもある。そこに加わらず、あの河原に行くるい。18歳になった彼女は家を出ることにした。小さい頃から可愛がってもらっていた勇おじさんとキャッチボールをしながら「家も岡山も出て、一人で新しい生活を始める」と言う。この時の彼女は笑顔だ。では「家の中では笑わない」ということになるわけだが、それほど雪衣との関係性が悪いのか。先ほど提起したように、雪衣は本当に“意地悪な継母”なのだろうか。
それというのも、彼女が葬式にもかかわらず「最終回だから」と食い入るように観ていたのが連続テレビ小説第1作目の『娘と私』という作品なのだ。これは、フランス人の先妻に先立たれた男性主人公が、彼女との間に生まれた娘の成長を後妻とともに見守るという物語。なんとなく、「先立たれた」「外国人」「残された娘」「後妻」というキーワードが、安子とるい、そして雪衣を彷彿とさせる。本作の特徴は、とにかく主人公の「私」が娘を溺愛していることで、もしかしたら雪衣は雪衣で、なんらかの視点でこのドラマにシンパシーを感じていたのかもしれない。