B・カンバーバッチの名演に圧倒 『パワー・オブ・ザ・ドッグ』が残す不穏な余韻の正体

『パワー・オブ・ザ・ドッグ』の不穏な余韻

 観終わった後にいつまでも残る、この尋常でない不穏な余韻は一体何なのだろう。

 まるで感情の奥底に眠る、言葉にならない悪夢の根源を掘り起こされたような、恐怖とも戦慄とも異なる、どこか見知らぬ大地の真ん中に取り残されてきたような、漠然たる不安感。

 『パワー・オブ・ザ・ドッグ』は、恐らく観る者全てに、そんな感情を抱かせる映画だ。その不安感の源は、その人が経験してきた過去の記憶や価値観、もしくは年代や生まれた国や土地柄などによって異なるだろうが、たとえどんな出自であろうと、本作が全編で放つ異様な緊張と「何かを暴かれた」かのような感情の発露から、無縁でいられる人はいないだろう。

 1993年に公開され、全世界で絶賛の嵐を巻き起こした傑作『ピアノ・レッスン』で知られるジェーン・カンピオン監督の、実に12年ぶりの劇場用映画となる(2013年には『ハンドメイズ・テイル/侍女の物語』のエリザベス・モス主演によるドラマシリーズ『トップ・オブ・ザ・レイク 消えた少女』の監督も手がけているが)。本作は、第78回ヴェネチア国際映画祭の銀獅子賞をはじめ、すでに2021年の賞レースを席巻する勢いの称賛を獲得している。これから2022年3月に行われる予定の第94回アカデミー賞授賞式まで、海外映画ファンは何度となく本作の名前を見聞きすることになるだろうが、その一方で本作は決して通り一遍の「感動作」としての受容を寄せ付けない、独特の「とっつきにくさ」を纏っているのも事実だ。

 また本作はトーマス・サヴェージによる原作小説との対比や、舞台となる1920年代のアメリカという「ある時代の終焉」が間近に迫った当時の国内状況、またはカンピオン監督がこれまで手掛けてきた全作品の集大成といった、様々な切り口での分析が可能な作品だが、ここではあくまでも筆者の感情から鑑賞直後に湧き上がってきたものを指標として、愚直に本作の魅力を書き記していきたい。

 本作での主要キャラクターは、4人に絞られている。主軸となるのはモンタナ州で大牧場を経営する対照的な性格の兄弟、フィル(ベネディクト・カンバーバッチ)とジョージ(ジェシー・プレモンス)。1925年という「近代」を生きているとは思えない、粗野で武骨な外見を身に纏った(彼にとっては日々の入浴すらも「女々しい」行為として忌み嫌い、己の体臭を香水のごとく周囲に放っている)、まさに古き風情に生きる男を自認している兄のフィルにとって、弟のジョージは都会の軽薄が服を着て歩いているかのような、文字通り「牧童の風上にも置けない」存在だ。そんな全ての面で相容れない兄弟が、旅の途中で立ち寄った荒野の食堂で働く母子ローズ(キルスティン・ダンスト)とピーター(コディ・スミット=マクフィー)と出逢ったことから、物語は動き始める。

 序盤から、まるでセルジオ・レオーネの西部劇に登場する荒くれ者の如き風貌と鋭い眼光で「文明人」を威圧しつつも、熟練の手捌きと優れたリーダーシップも兼ね備えた牧場主の兄フィルに扮したベネディクト・カンバーバッチの佇まいに、まずは誰もが圧倒されるはずだ。撮影中は実際にほとんど入浴をせず、常に吸い続けていた煙草の悪影響でニコチン中毒にも陥ったという彼の役作りの執念によって到達したリアルなカリスマ性と深い感情表現は、45歳の年齢にして今や彼が映画史に残る名優の域に近づきつつあることを強く感じさせる。今年の映画賞でも、彼の存在が中心となるのは、ほぼ間違いないだろう。

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