『アレックス』がなぜ『STRAIGHT CUT』として蘇ったのか ギャスパー・ノエ監督に聞く

ギャスパー・ノエが語る『アレックス』

『STRAIGHT CUT』が今、公開される意義

――そもそも、オリジナル版の『アレックス』は、どのようなアイデアから生まれた作品だったのですか? 「時間を逆行する」というアイデアは、かなり早い段階からあったのですか?

ノエ:「時間を逆行する」というアイデアは、最初にシナリオを書いている時点からあった。確か全部で14ぐらいのシークエンスがあったと思うけど、シークエンス14がいちばん最初で、そのあとは13といった具合いに、衝撃的な結末から「ことの次第」をさかのぼっていく感じで描くのが面白いんじゃないかと思ったんだ。そうすることによって、パズルを組み合わせていくような面白さが、映画の中に生まれるんじゃないかってね。

――なるほど。そこで少し『アレックス』公開当時の状況を思い出したいのですが……監督は、『カルネ』(1991年)と『カノン』(1998年)という2本の映画によって、非常にセンセーショナルな映画を撮る監督、あるいは観客を挑発するような映画を撮る監督として、世界の映画ファンはもちろん、日本の映画ファンにも認知されるようになりました。そして、その後、この『アレックス』(2002年)が2003年に日本でも公開されるわけですが、その際には「9分にもわたるレイプ・シーンの衝撃!」「カンヌ国際映画祭で途中退出者が続出した!」など、かなり煽情的な宣伝のされ方をしていたように記憶しています。そういうイメージや宣伝のされ方は、監督にとって本意だったのでしょうか? それとも少し不本意なところがあったのでしょうか?

ノエ:うーむ。映画監督というのは、やはり「どれだけ観客の心を動かせるか」というのが、非常に大事なポイントであって……そういう意味で「センセーショナルな映画を撮る監督」とみなされるのは、必ずしも悪いことではないと思っているよ。だから、いささか極端とはいえ、「途中退室者がいた!」とか「失神した観客がいた!」というのは、ポジティブに捉えれば、観てくれた人たちが、それだけ激しく反応してくれたということであって。それは、悪いことではないと思っているよ。

――ただ、それによってある種の偏見ではないですが、「過激な映画である」という先入観を持たれてしまい、幅広い層の観客に観てもらえない、あるいは監督として正当な評価をされない、といった不満もあったのでは?

ノエ:うーむ。しかし、そうは言っても、私が敬愛する過去の偉大な監督たち――ルイス・ブニュエルやピエル・パオロ・パゾリーニ、あるいは若松孝二といった監督たちも、当時は、かなり「過激な監督」として捉えられていたんじゃないかな? だから、それが必ずしも監督としての正当な評価に繋がらないとは思わないし、自分がそう思われることも悪くないと思っている。いつも退屈な映画ばかりを作っている監督と思われるよりは、遥かにいいじゃないか(笑)。

――そうかもしれません。

ノエ:もちろん、きみが言わんとしていることはわかるよ。私自身は「過激であること」を第一目的として映画を作っているわけではないし、いつかは溝口健二や木下恵介のような映画も作ってみたいと思っているから。

――なぜ、この質問にこだわるかというと、今回の『STRAIGHT CUT』を観て、オリジナル版の公開当時には気づかなかったこと――当時は、その「過激さ」ばかりに気を取られていましたが、今回の『STRAIGHT CUT』を観て、その演出力の高さに改めて驚いたからなんです。とりわけ、今回のバージョンの序盤に置かれたアレックスとマルキュスの部屋での一連のシーンの美しさ、そしてピエールと合流して3人でパーティに向かうときのやりとりは、非常に自然体で素晴らしいと思いました。

ノエ:なるほど。それは嬉しい感想だね。ただ、それは私の演出力の高さというよりも、チームワークのなせるわざだと思っている。そう、『アレックス』に関しては、それぞれのシーンについて、シナリオの段階で全部細かく書き込まれていたわけではなく、役者たちと何度も打ち合わせをしながら、「どういうふうに演じるべきか?」「そこでどういう会話をするべきなのか?」、しっかり議論してから撮影することを心掛けたんだ。実際、撮ってみて、誰かが違和感を持ったら、その意見を受け入れながら、別の芝居や台詞で撮ってみたり……それは役者だけではなく、撮影や照明、音響などについても同じで、役者やスタッフの意見を聞きながら、どんどん改善していくような作り方にトライしてみたんだ。思い返せば、そういう作り方をしたのは、『アレックス』が初めてだったし、そのあとに作った『CLIMAX クライマックス』(2018年)は、まさに『アレックス』と同じやり方で作った映画だったと言えるだろう。脚本の段階では、あまり細かいことを決めず、役者たちの意見を聞きながら、その場で台詞を決めていくっていう。そう言えば、トーマ・バンガルテル(ex. DAFT PUNK)と初めて仕事をしたのも、『アレックス』だったね。

――確かに。トーマと監督は、そこから何度もタッグを組むことになるわけですが、彼とはどういう経緯で、一緒に仕事をするようになったのでしょう?

ノエ:そもそもは、『アレックス』のパーティ場面で使用する曲を探しているときに、私が彼の曲を気に入って、彼とコンタクトを取って、使用許可をもらったんだ。そしたら彼が、編集中のスタジオにやってきて、『アレックス』の本編映像を観ながら、「君の映画のために音楽を作ってもいいよ」って言ってくれたんだ。そこから関係性が続いて、『エンター・ザ・ボイド』(2009年)や『CLIMAX クライマックス』でも、彼が音楽的なサポートをしてくれているし、今でも仲良くしているよ。トーマは、とにかく親切でいい男なんだよ(笑)。

――彼も含めて、ひとつの「チーム」というわけですね。そう、モニカ・ベルッチも、今回の『STRAIGHT CUT』を絶賛しているとか?

ノエ:ああ、ありがたいことにね。「約20年前に撮った映画が、時系列を正しただけで、ここまで素晴らしい作品に生まれ変わるものなの!?」って、すごく気に入ってくれたみたいだ。

――それを聞いて安心しました。このような映画の場合、役者たちの信頼関係というのは、現場はもちろん、公開後も含めて非常に大事だと思うので。

ノエ:確かに、役者たちとの信頼関係は、絶対必要だ。特に私のような映画を作る場合は。そう、この映画には、モニカ・ベルッチ、ヴァンサン・カッセル、アルベール・デュポンテルという3人の役者がメインで登場するけれど、彼らは3人ともプロフェッショナルで、芝居も申し分ないほど素晴らしい。でも、だからこそ、彼らと信頼関係を築くことは、とても重要だったんだ。お互いを尊重し合い、敬意を払うこと。そして、彼らがみんな、同じモチベーションでもって、いい映画を作りたい、私が目指す映画を作りたいと思ってくれることも。もちろん、それは役者だけではなく、スタッフに関しても言えるだろう。映画撮影の現場で、お互いを尊重し合うことは、とても大切なポイントだと思うよ。

――20年前と比べて現在は、いわゆる「ポリティカリー・コレクトネス」の流れ、あるいは「#MeToo」運動の隆盛など、映画作りをめぐる環境が、大きく変わってきているように思います。監督自身は、それについてどう思いますか? 監督の映画作りにも、なにがしかの影響を与えているのでしょうか?

ノエ:うーむ。私が思うに、70年代が最も自由に映画を作れる時代だったというか、とにかくいろいろなものを自由に表現できた時代だった。しかし、今はそうではない。だから、いわゆる「ポリティカリー・コレクトネス」の問題については、その時代的な必然を感じながらも……正直なところ、完全には同意できない部分もある。映画は、たとえそれが差別的なものであれ、目の前にある「現実」を反映したものだから。ただし、「ミー・トゥー」運動に代表されるような、映画作りにかかわるハラスメントの問題は、根絶すべきことだと思っている。ハラスメントの問題は、女性に限った話ではないからね。すべての関係者は、尊重されるべきだ。もちろん、それは映画の世界に限らず、すべての職場において必要なことだ。要するに、すべての人々が、働きやすい環境を作ること。そのことに関しては、300%同意するよ。ただ、私が少し気になっているのは、今の世界では、いろいろな社会的なグループが存在していて、それらが互いに牽制し合っているように見えることなんだ。さっき、今だったら、きっと『アレックス』の企画は通らなかっただろうと言ったけど、この映画ではマルキュスが差別的な発言をしたり、街頭の娼婦たちに向けて侮蔑的な態度を取ったりするよね?

――そうですね。

ノエ:まあ、彼は怒りで我を失っている状態なので、かなり露悪的になっているところがあるんだけど、今はそれすらも制約を受けるというか、そういう台詞のある映画の企画は、その文脈にかかわらず、ほとんど通らなくなっているんだ。映画の出資者たちが牽制し合って、ある種の「忖度」ではないけど、どこかのグループに何かを言われることを、あらかじめものすごく恐れているから。その状態は、私にはあまり良くないように思える。表現の自由は保障されているけど、今の時代、すべての自由は、ある種の条件つきでもあるわけで。そういう意味では、私の映画も制約を受けているし、果たしてそれでいいのかという疑問は、やはり無いとは言えないよね。

――なるほど。今回の『STRAIGHT CUT』も、多かれ少なかれ物議を醸すことになるかもしれません。

ノエ:まあ、20年前の『アレックス』の時点で、もうかなりの物議を世界中で醸しているんだけどね。そう、物議を醸すのは監督ではなく、いつだって周囲の人々なんだよ。そこには、ある種の「時代性」みたいなものも、きっとあるだろう。そういう意味で、この『STRAIGHT CUT』に対するリアクションが、どのようなものになるのかは、非常に興味深いポイントと言えるかもしれない。ひょっとすると、暴力的なシーンよりも、差別的な台詞のほうが、より物議を醸すのかもしれない。あるいは、ヴェネチア国際映画祭のときのように、「トキシック・マスキュリニティ(有害な男らしさ)」を描いた「フェミニスト映画」とみなされるのか。いずれにせよ、それが「今の時代」っていうことなんだろう。

■公開情報
『アレックス STRAIGHT CUT』 
10月29日(金)より、新宿武蔵野館ほか全国順次公開
監督:ギャスパー・ノエ
出演:モニカ・ベルッチ、ヴァンサン・カッセル、ジョー・ブレスティア、アルベール・デュポンテル他 
音楽:トーマ・バンガルテル 
提供:キングレコード
配給:太秦
R18+ 
Photographer : EMILY DE LA HOSSERAY
(c)2020 / STUDIOCANAL - Les Cinémas de la Zone - 120 Films. All rights reserved. 
公式サイト:alex-straight.jp 
公式Twitter:@AlexStraightcut 

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