密集・密接・密着を讃美する奇跡の大作 愛すべき人の体温を思い出す『イン・ザ・ハイツ』

荻野洋一の『イン・ザ・ハイツ』評

 ジョージ・ワシントン橋の夕景をバックに、アフリカ系男性とプエルトリコ系女性がアパートメントの煉瓦外壁を、重力無視で直角に伝ってダンスしながら、しっとりとした愛の交感をデュエットするシーンがある(「When the Sun Goes Down」)。街を去って西海岸の名門大学に戻る女性が言う。「この街の騒音を聞かせて」。普段どおりの街頭ノイズこそニューヨークの最高の音楽だと言わんばかりに。煉瓦外壁を伝う2人のトリッキーなダンス撮影は、旧作映画ファンにはおなじみかと思う。映画史上最高のダンサー、フレッド・アステアがホテル客室の床、壁、天井をたくみに伝っていきながらタップダンスを披露する『恋愛準決勝戦』(1951年/スタンリー・ドーネン監督)にむけられた、台湾系アメリカ人監督ジョン・M・チュウ(朱浩偉)のちょっとした愛情表明である。些末な街頭ノイズとアステアの伝説的ダンスの記憶を結びつける気配りがなかなか憎いところだ。

 ニューヨークという大都市は「ジェントリフィケーション」の時代となりつつある。「ジェントリフィケーション」とは、低所得の庶民がつつましく暮らしてきた地区が、デベロッパーの再開発によって富裕層向けの地区に変貌し、従来の住民が住めなくなっていく現象である。あからさまな追い立てや立ち退きは巧妙に避けられてはいるが、再開発に伴って家賃が上昇し、物価も上昇する。本作においても、新しく開店したクリーニング店におばあちゃんが愛用のランチョンマットを持っていくと、1枚あたりの料金が9ドルだと提示されて、そそくさと引き下がるシーンがある。「ジェントリフィケーション」の波によって移民コミュニティが脅かされるクイーンズ区の状況を取材したドキュメンタリー映画『ニューヨーク、ジャクソン・ハイツへようこそ』(2015年/フレデリック・ワイズマン監督)も記憶に新しいところだ。

 『イン・ザ・ハイツ』の主人公ウスナビ(アンソニー・ラモス)が言うセリフ「この街は5年後には消えているかもしれない」というのは、「ジェントリフィケーション」に対する危惧が言わせたセリフだ。本作のなかでも、移民たちに愛された地元の個人商店、事業所、美容院が次々に閉店、あるいは市の中心からより遠いブロンクス区へ移転していく。

 だから、ここで次から次へと繰り出されるナンバーの数々は、このワシントン・ハイツという地区への讃歌であり、日常空間の絶え間ない祝祭化としてあるのと同時に、その祝祭の楽天性、熱気の陰に、来たるべき惜別の情が込められてもいるのだ。最後の宴かもしれないことを承知した上での祝祭。そして、群衆によって共有された祝祭が最も現出せしめようとしているものは、密集であり、密接であり、密着なのである。ここでは2時間半近い時間にわたって絶え間なく集散するモブシーンによって、人間同士の密集・密接・密着が高らかに謳い上げられている。映画の後半で演奏されるナンバー「カルナバル・デル・バリオ(ご近所のカーニバル)」は、密集・密接・密着への讃歌だ。隔離とディスタンスの時代に生きる私たち現代人は、密集・密接・密着の運動感をスクリーン上に見つめながら、たとえわずかでも喉の渇きを癒やすことができ、愛すべき人の体温を思い出すことができるだろう。

■公開情報
『イン・ザ・ハイツ』
全国公開中
監督:ジョン・M・チュウ
製作:リン=マニュエル・ミランダ
出演:アンソニー・ラモス、コーリー・ホーキンズ、レスリー・グレース、メリッサ・バレラ、オルガ・メレディス、ジミー・スミッツ
配給:ワーナー・ブラザース映画
(c)2021 Warner Bros. Entertainment Inc. All Rights Reserved

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