庵野秀明も自身の作品に引用 岡本喜八監督作『激動の昭和史 沖縄決戦』が必見である理由

 庵野監督はインタビューの際に、監督作で実際の戦争を描くことはないだろうと発言している。そこには戦争を見ていない人間が想像で戦争を描くことに対する、一種誠実な畏れがあるからであろう。戦争がどれほど残酷でひどいものなのか、どのような悲劇を生み出すのか。そういった経験を経ないまま戦争を描くことの危険性は、たしかに理解できるところだ。その意味で、『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』における人間と人間の戦闘は、『激動の昭和史 沖縄決戦』の表現を踏襲しオマージュすることで描き得た、庵野監督ならではの戦争表現だったといえるだろう。

 一方、岡本喜八監督は、その身で戦争を体験した人物である。通っていた士官学校で空襲に遭った岡本は一命を取り留めたが、そのとき彼は、学友たちがひどい状態で死んでいく様を目にしている。一人は片手片足を吹き飛ばされながらも、腹からはみ出た内臓を体内に戻そうともがいていた。そして岡本は、頸動脈が傷つき血の雨を吹き出している一人の首筋を押さえ、死んでいく姿を目の前で目撃している。そんな強烈な体験をしている岡本が描く本作だからこそ、戦争の表現に実感がこもるのである。

 とはいえ、岡本が映画監督として大きく注目されることになった戦争映画『独立愚連隊』(1959年)は、意外にも娯楽性が高く、戦後の反省ムードのなかでは異色としてとらえられた作品となった。その後、『江分利満氏の優雅な生活』(1963年)、『日本のいちばん長い日』(1967年)、『肉弾』(1968年)などの作品で、岡本は次第に戦争に対する、否定的なテーマを確立させていく。そして1971年公開の本作は、大作となったことも影響して、岡本の持ち前の娯楽性と批判的なテーマが複雑に絡み合うバランスとなった。

 宮崎駿監督や庵野秀明監督が作品づくりにおいて葛藤するだろうことの一つに、兵器に異常なほど惹かれてしまう個人的な趣向がある。彼らが作品の中に登場させたいと思う兵器の数々は、言うまでもなく人間を殺傷する機能を備えている、人殺しのための道具である。たとえ美しく興味深いものであれ、一度それらが人に向けて発動されれば、悲劇を引き起こすことになる。極端な思想を持っていない限り、そんなものを作品の中に嬉々として登場させてしまうことで生まれる罪悪感を覚えるのは当たり前のことだ。

 岡本監督作としては珍しく特撮を駆使した本作『激動の昭和史 沖縄決戦』は、その意味で、戦争を娯楽化した表現とそれが引き起こす悲劇を描くことで、この矛盾がそのまま提示された、部分的にドライであり、部分的にウェットな作品として完成されたといえよう。だからこそ、独自のキャリアを辿った岡本喜八監督以外には思想的にも技術的にも描くことが難しいはずなのだ。

 さて、第32軍の奮闘の一方、沖縄の一般市民の立場はどうだったのか。本作では、第32軍専属の散髪を手がけ、家族を逃しながらたくましく生き延びようとする、田中邦衛演じる男や、竹槍を持って米兵と戦おうとする健気な老人、洞窟で怪我をした脚を切断されそうになると「お嫁にいけなくなる」と泣いて暴れる若い女性、親を亡くして歩き回る子ども、ひめゆり学徒隊など集団自決を選ぶ多くの人々が、様々に描かれていく。

 その中に、軍を批判する人々も登場する。大勢の人々が殺害され、自決をしたあと、仲代が演じる軍人が命からがら洞窟にたどり着くと、老齢の男性が彼に向かって、「やい、お前の戦友はな、みんな靖国の杜(もり)へ行ったんじゃぞ。何をおめおめ生きてるんじゃい!」となじる。仲代が演じた、作戦を立案した軍人には実際のモデルとなった人物が存在し、彼はたしかに投降することで沖縄戦を生き残って本土へと帰ったのである。岡本監督と脚本の新藤は、ここに現実につながる痛烈な批判を叩きつけている。

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「作品評」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる