『きみセカ』竹内涼真と中条あやみの“最悪の再会” 二本の緊張の糸がついに一本に
主人公・間宮響(竹内涼真)とヒロイン・小笠原来美(中条あやみ)が、ついに再会を果たした『君と世界が終わる日に』(日本テレビ系)。ところがそれは、私たち視聴者が想像していたもののうち、最悪なかたちで実現されることとなった。二人は知らぬうちに敵対し合う関係になっており、目の前にいるのが最愛の人だと気がついたときにはすでに遅し。響の放った矢は、来美の体を射抜いていたのである。
響と来美は互いに、「無事に再会する」という同じ目的を持ちながら、それぞれに異なるストーリーを紡いできた。最終的な目的が同じであっても、二人が置かれている環境は大きく異なるものだったのだ。人間をゾンビ化させてしまう“ゴーレムウイルス”が蔓延し、あちこちにゾンビが溢れ返った、同じ世界にありながらである。
この異常な世界で、文字通り体を張ってサバイブしてきたのは響の方だ。一人で街をさまよい、何人もの仲間と出会い、そして別れ、過酷な環境下をどうにか生き抜いてきた。本作の序盤から物語の大きな緊張感を生み出していたのは、“響サイド”だといえるような気がする。そこではゾンビたちとの戦闘はもちろんのこと、人間同士の駆け引きや裏切り、かつての親友である等々力(笠松将)との対立、極限状態での倫理観の変化などが描かれてきた。しかし、こちらの生み出す緊張感ばかりでは、二本に枝分かれしたストーリラインの均衡は崩れてしまっていたことだろう。
では一方の、“来美サイド”はどうだろうか。彼女が身を置く横須賀駐屯地に等々力がやってきて、“響の死”というウソを伝えてからは来美自身も緊張感を生み出すことに貢献しているように思う。しかしそれまでは、“ヒロイン”という作品における立場上、そして研修医という役どころから、彼女自身が緊張感を生み出していくのは難しかったのではないだろうか。それまでの“来美サイド”の緊張感を生み出し維持してきたのは、やはり彼女を取り囲む面々だったのではないかと思うのだ。それはもちろん、首藤(滝藤賢一)やジアン(玄理)、自衛官である桑田(浅香航大)や沢(堀家一希)らの存在である。