『Mank/マンク』は懐古主義の作品ではない デヴィッド・フィンチャーが“いま”製作した意義

『Mank/マンク』を2020年に観る意義

 マンクことハーマン・J・マンキーウィッツは、いかにして映画『市民ケーン』のシナリオを書き上げたのか? デヴィッド・フィンチャー監督初のNetflix長編『Mank/マンク』は、「映画史を変えた不朽の名作」とも「呪われた映画」とも称される『市民ケーン』の知られざる誕生秘話に光を当て、製作・監督・主演をつとめた巨人オーソン・ウェルズの影に隠れたマンクという人物の実像と功績を浮かび上がらせていく。

 1941年に公開された映画『市民ケーン』は、当時のアメリカで強大な影響力を誇った新聞王ウィリアム・ランドルフ・ハーストをモデルに、若くして富と名声を手に入れた新聞王チャールズ・フォスター・ケーンの波乱に満ちた人生を描いた物語だ。煽情的な内容で発行部数を伸ばし、その富を誇るように城のような大邸宅を建て、若く美しい愛人を囲って彼女を大スター女優に仕立て上げようとする主人公ケーンの生きざまは、明らかにハーストの実人生を揶揄したものだった。

 映画では年老いたケーンの苦い挫折と空虚な終焉までも描ききるが、当時まだハーストは存命中であり、言うなれば「予言」、あるいは現実に対するフラッシュフォワード(フラッシュバックとは逆に、主軸となる物語の自制よりも未来のシーンを劇中に挿入する話法)ともいうべき大胆かつ挑発的な仕掛けが施されている。映画公開にあたっては当然のごとくハースト側による妨害工作も行われた。

 今回の『Mank/マンク』では、ゲイリー・オールドマン演じる主人公マンクがウェルズに依頼された脚本を書くために、砂漠に囲まれた観光牧場にアシスタントたちとカンヅメになる「現在」のストーリーと、1930年代のハリウッドでマンクが売れっ子脚本家として活躍しながら『市民ケーン』の核となる執筆動機を育んでいく「過去」が交互に描かれていく。頻繁に時制が入り乱れる構成は、まさに映画『市民ケーン』と同じ趣向だ。同作の代名詞である強烈なビジュアルスタイル……陰影の強いモノクロ映像、パンフォーカス(画面の奥から手前までフォーカスのあった奥行きのある映像。これをフィルム時代に実現するにはとてつもなく大がかりな照明設計が必要だった)を多用したメリハリのきいた画作りも、フィンチャーは随所で踏襲している。

 また、高解像度の8Kモノクロカメラで撮影したのちに画と音にノイズを施し、さらにデジタル時代にはまったく必要のないフィルム交換マークまで付け足して、当時の「フィルム感」を再現するという念の入れようもすさまじい。かつてクエンティン・タランティーノが『グラインドハウス』(2007年)で試みた偏執的技法を、さらに徹底的に展開したフィンチャー流のフィルム愛は、たぶん若い観客には全然ピンとこないのだろうが、古参の映画ファンにとっては贅沢な贈り物だ。

 それにしても、本作が配信に先駆けて一部劇場でスクリーン上映された際、ビスタ映写の上下に黒い帯のかかったスコープサイズという「昔の4:3ワイド仕様のDVD」みたいな上映環境だったのは、なんとも呆れた。おそらく上映素材自体の仕様がそうなっていたのだと思うが、こういう杜撰な仕事を老害映画ファンは許さない。

 さて、80年前の出来事を描いた『Mank/マンク』が懐古主義一辺倒な映画かというと、決してそんなことはない。むしろ2020年という現在にこそ迎えられるべき物語として映像化されていることは、本編を観れば明らかだ(ネタバレを避けたい読者には、ここでページを閉じることをお勧めする)。

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