“映画”から“一つの事態”へ 寄せられた論点と作品の先進性から、実写版『ムーラン』の価値を探る

実写版『ムーラン』の価値を探る

 先進性が強調された一方で、保守的に感じられる部分もある。それは、ムーランの活躍や覚悟が、国家や家系の利益に資するもののように見えてしまうということだ。あくまで権力の中枢に位置する皇帝は男性であり、男尊女卑の慣習を持った社会の存続のために、女性の可能性や努力が使われてしまうのであれば、本末転倒なのではないか。アニメ版では、ムーランの父親が名誉の象徴である剣や皇帝の紋章を地面に捨ててムーランを抱きしめる場面が感動的だったが、本作では剣が重要なものとして扱われている。このような描き方が、中国市場でのビジネスを意識したものなのかは分からないが、中国政府に気をつかったのではないかという見方があるのは確かである。

 とはいえ、このような保守的な描写は、もともとアニメ版にも数多くあったのも、また確かなことだ。そもそも、自国の朝廷を善、一方の民族を悪であるというようにとらえた一方的な前提自体が、今日の目から見ると硬直した価値観だといえる。そして同種の問題は、“王国”というシステムを必要とする、ディズニーのプリンセス・ストーリー自体に共通して横たわっている。先進的な試みが多く見られる『アナと雪の女王』シリーズですら、最終的に王国が民主化されるところまでには至らない。ディズニーは、このように保守性と革新性という両輪を回すことで成立しているところがある。そのなかでことさら『ムーラン』が批判されるのは、現実における近年の中国政府の強硬姿勢が影響している部分もあるだろう。

 本作は製作中から懸念材料が持ち上がっていた。周知の通り2019年より香港では激しい民主化デモが起こっており、中国政府による香港政府への圧力によって、香港警察が強硬な姿勢で市民運動を取り締まっている。そんな事態のなか、本作でムーランを演じた中国映画のスターでもあるイーフェイは自身のSNSに、「香港警察を支持する」と書き込んだのだ。ムーラン役の俳優が中国の強権姿勢に同調する姿勢をとることで、民主化を求める香港市民や、それを応援する者たちが『ムーラン』に賛同しにくい状況が生まれ、ボイコット運動も起こった。

 このような事態には、『ワンダーウーマン』(2017年)の主演俳優ガル・ガドットが、イスラエル軍によるガザ地区の爆撃をSNSで支持したという、同様の先例がある。作品のなかで多様性の象徴となる存在が、作品外とはいえ権力による暴力的な行為を後押しするというのは、問題だとみなされても仕方のないところがある。

 反対に、ペネロペ・クルスやハビエル・バルデムがガザ地区攻撃を批判したり、ベテラン俳優アンソニー・ウォンが香港の市民運動を支持したことで仕事が激減し、それぞれアメリカや香港での活動が難しくなったという状況もある。自身のキャリアよりも、自由や平和を求める市民の側に立つことを選んだ彼らの姿勢は素晴らしい。その上で、そういう道を選ばなかった俳優を批判し、ボイコットをするかどうかは、個々人の感覚や政治的姿勢によって判断されるべきだろう。

 もう一つ、本作が批判にさらされたのは、劇中で使用された場面の一部に、新疆ウイグル自治区で撮影されたものがあったという事実についてだ。当地ではウイグル族が中国側によって差別的な弾圧が加えられているという指摘が、国際社会からなされている。そして、本編のクレジットに自治区の政府機関への感謝が記されていることから、人権や多様性を弾圧する側に与していると見られたのだ。とはいえ、さすがにディズニー側が意図的に中国政府の方針に同調してそのような措置をとったとは考えづらい。これは、単にリサーチ不足で脇が甘かったために起こった事態ではないだろうか。しかし、国際問題への意識を高めていれば回避できたケースではある。

 一方で、中国のウイグル問題を、逆に中国への反感や差別意識を煽りたいという意図を持った人々がネガティブキャンペーンに利用しているケースもある。このように複数の差別感情が交錯する複雑なケースについては、実態への詳細な理解が必要であり、一面的な見方で批判することが差別を助長させてしまう可能性もある。今回の『ムーラン』批判には、背景にそのような構図も存在しているのではないだろうか。

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「作品評」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる