『Red』三島有紀子監督が語る、夏帆×妻夫木聡との共闘 「感情を“共有”した先にみえるもの」
役者に「演じてもらう」のではなく「感じてもらえる」ように
――僕が本作を観て思ったのは、「物語」の起承転結を描くというよりも、その瞬間瞬間の心の揺れ動きや細やかな変化を撮ることが、この映画の場合、非常に大事だったのかなと。
三島:おっしゃる通りです。ドラマティックな物語を順序立てて描くということよりも感情の流れが大事かなと感じるようになったのはあります。むしろ、どういうときに、どういう感情で、どういう表情をして、どういう吐息を漏らすのか。それがどう変っていくのか。それをつぶさに観察していきたい。そう、物語っていうのは、その瞬間その瞬間の連なりですしね。なので、とりわけ本作の場合は、順序立てた物語の面白さを追求するより、人生における「愛に生きた一瞬の季節」っていう人生の断片のようなものをどう切り取ることができるのかっていうことに、注力を傾けていったところはあると思います。
――「つぶさに観察していきたい」とおっしゃられましたが、そういう意味では、「役者の芝居」というものが、非常に大事になってくるのではないかと。
三島:そのあたりのことは、以前『幼な子われらに生まれ』を作るときに、改めていろいろと考えたことがあって。あの作品をやるときに「この映画は感情のリアリズムを焼き付けなければならない」と思ったんですね。それで、ワークショップじゃないですけど、たとえばこのシーンを撮るってなったときに、その前に何があったのかっていうことを、撮影の前に役者さんと(主に子役たちと)細かく話し合って、共有することにしたんです。あとは、その場で起きる化学反応――ある言葉をぶつけたとき、どういう表情が生まれるかっていうことを、つぶさに見ていくようにして。だから、役者さんに「演じてもらう」というよりも、とにかく「感じてもらえる」ような――そういう環境を作ることが、私の仕事なんだって思ったんですよね。それは美術とかに関しても同じで……実際の映像には映らないものであっても、美術部と話して用意することにしたんです。たとえ映らなくても、それが存在していることを役者さんが感じてもらえれば、自然と感情が生まれてくるんじゃないかって思って。そういう手法を始めたのが、『幼な子われらに生まれて』からだったんですね。
――なるほど。言葉による説明ではなく、役者のたたずまいによって、説得感を生み出すというか。本作にも、そういうシーンは、多々あったように思います。
三島:ああ、それは良かったです(笑)。なので、役者さんに求めるものも、やっぱり大きくて。今回の映画でも、そこに至るまでに何があったのか、その前に2人のあいだでどんな会話があったのか、もう一回考えてきてほしいみたいなことは、何回もやっていました。
――今回のパッケージに収録されているメイキング映像も拝見しましたが、主演の夏帆さんも、お芝居に関して、だいぶ悩まれたようですね。
三島:夏帆さんに関しては、これまでに何回もご一緒させてもらっていて、出演作も拝見させていただいていて、とてもうまい方だなと思っています。だから、大体OKなんですが、「もっといけるよね」とOKを出さなかったんです。実際現場でもそう言いました。いろんな内面が浮かび上がってこなければいけない難しい役でしたし、そういう意味では、夏帆さんはとても悩んでくれたし、苦労もしていました。主役って頭でわかったことだけをやっていてもダメなのかなと思っていて。なんか、わからなくなったけどこうしてしまったってところまで辿り着きたいなと。セリフがとても少ないのに、いろんな感情を表現しなきゃいけない訳ですからね。私は、男と女ってどこか、言葉は要らない……と感じるところもあり、どんどん台詞が減っていきました。台詞で説明しないでどれだけ描けるかっていうと、かなり難しいところがあると思うんですが、夏帆さんと妻夫木(聡)さん、そして柄本佑さん、間宮祥太朗さんとという4人であれば、それに挑めるだろうと。そういう話は、あらかじめ出演者のみなさんにも、お話しさせていただいたんですよね。だから、私の仕事としては、ひたすら「もっともっと」とリアルな感情が生まれる芝居をひたすら期待して、そんな環境を作り、粘り強く待つということだったと思います。
――「鞍田」役の妻夫木さんも、すごく良かったです。
三島:妻夫木さんも素晴らしかったですよね。妻夫木さんが、理想の家の窓から何を見たいか、ということを車中で語るシーンがあります。ないはずの水平線がまるで目に浮かんで波の音が聞こえたんですよね(だから録音部の浦田さんと音響効果の大塚さんが波の効果音をつけてくれる訳ですが……)。本当に伝わるものが大きくて、胸がしめつけられました。妻夫木さんはかなり綿密に準備をしてこられるのに、現場で0になって相手のお芝居に反応する事のすごさがありますね。そして、夏帆さんの今までにない表情を撮るためにも、やはり妻夫木さんが必要でした。妻夫木さんにある種の「共犯者」になっていただくことが、今回の映画では非常に大事だったんです。たとえば、車で迎えにきてくれた「鞍田」を見たときの「塔子」の表情――あのときの「鞍田」は、病状を考えると、生きているのかどうかわからない状態というか、来られるはずがない。もしかしたらすでに亡くなっていて、亡霊になって「塔子」に会いにきたのかもしれない訳です。そういう「鞍田」を見たときの、「塔子」の驚きや戸惑いの表情を撮りたかったので、妻夫木さんには、「生きているか死んでいるかわからない感じでただずんでいただけませんか?」ってお願いして……。
――すごいディレクションですね(笑)。
三島:そうですね(笑)。でも、そしたら、妻夫木さんが本当に魂だけがそこに立っているという感じでやってくださって。それによって夏帆さんから、「これは現実なのか」っていう、ある種確かめるような感じのお芝居が、生まれていったんだと思うんです。だから、妻夫木さんは、作品全体のことを一緒に考えてくれる「戦友」みたいなものだったなって思っていて。スタッフも含めて、他の誰よりもいちばんに、私がやりたいことを理解してくださったのが妻夫木さんでしたし、妻夫木さん経由で夏帆さんのお芝居を引き出していくというのが、今回の映画の連携プランとして、ひとつ大きかったです。おかげで、本番中、肉体の存在さえ忘れ、ふたりの間に、ただ、感情だけが流れている瞬間が生まれているのを目の当たりにできましたし、それが撮れて幸せでしたね。
――あと、そんな2人のあいだに入ってくる「小鷹」役の柄本佑さんも、非常に色気のあるお芝居をされていて。
三島:以前、深夜ドラマでご一緒したことがあって、そのときから色気のある人だなと思っていたんですけど、今回の映画の中で彼が演じている「小鷹」という男の色気は、妻夫木さん演じるストイックな「鞍田」の色気とはまた違っていて……とても難しく悩んだ役です。とても器用で観察眼があるのに、どこか達観した色気って言うんですかね。だからするりと心にすべり込んでくる。それは実際の佑さんとも、ちょっとシンクロしているようなところがあるというか、冷酷なまでの観察眼と物事を達観した目で見ている色気みたいなものがすごくあって、そこが面白いなって思ったんです。しかも、この「小鷹」という役には、「塔子」が「鞍田」のもとに走る第一段階として、彼女の心の扉を開いていくような役割もあったわけで……。
――「小鷹」の存在が、実は結構大事なんですよね。
三島:彼が「塔子」の奥に潜ませていた本質の部分、その心の扉を、ちょっと開いたところがあって。その勢いがあるからこそ、「塔子」は「鞍田」に向かっていけたというか。「小鷹」は「塔子」をくどいていたのに、結果的に「塔子」の背中を押してしまうんです(笑)。
――確かに(笑)。そんな3人の姿を見ていて、男女関わらず、人間の魅力って何だろうって、ちょっと考えてしまいました。それは行為の「正しさ」とは、必ずしもイコールではないというか。
三島:そうですね。この映画を作るときにまず、登場人物たちのやっていることは、ところどころズルかったり、ダメだったりしながらも、やはり全体としては、それを魅力的に思ってもらいたいなっていうのは、強く思っていたんですよね。まあ、それは今作に関わらず、映画を撮るときはいつも、その役者さんが持っている良さが見えてきて、それが魅力的に感じられたらいいなと思いながら撮っているんですけど。やっぱり、いつもと違うところが見えるっていうのは、ちょっと色気を感じますよね。こういうときに、こういう表情をするんだとか、こういう声を出すんだとか。その人の新たな一面を見てしまったり、何かほころびのようなものが見えた瞬間に、とても人間臭さを感じて魅力的に感じたりするのではないでしょうか。
――そういう意味でも、やっぱりこの映画は、「役者の映画」だったなと思いました。「物語」はもちろん大事ですけど、それ以上に「役者の芝居」を堪能するような映画だったというか。
三島:そこはスタッフとも撮影前から話していました。今回は、人間の表情をつぶさに追いかけていこうと。それで、手持ちカメラでほぼ全部撮っていただいたんです。手持ちって、役者の芝居をすごく見てないとやれないので、とても大変なんですよ。動きや表情のタイミングも含めて、芝居って毎回繊細な部分は変わるものかなと。やっぱり、相手があっての芝居だし、私も毎回同じことを求めているわけではないですし。そうなると、スタッフの負担も大きいというか、役者の繊細な芝居をものすごく繊細に見ていて、そこである種の決断をもってカメラを動かさなくてはならないわけです。たとえば、「塔子」の電話ボックスのシーンだったら、指輪を見て外すところから、どのタイミングで顔にいくのか、そこからまたどのタイミングで指にいくのかっていうのを、本当にものすごい注意力で見ながら、カメラを振っていくんですね。そういう意味では、スタッフの負担も、相当あったと思います。
――確かに、手持ちならではの緊張感が、本作にはあったように思います。
三島:カッティングの緊張感ではなく、じっと耐えながら緊張していただく感じって言うんですかね。芝居そのものに緊張感があるっていうのは、まず求めていることだし、それを撮っている我々の中にも緊張感があるということが、恐らくこの映画全体の緊張感を生んでいったんだと思います。そして、その緊張感がほどける瞬間がどこなのかみたいなことを、観てくれた方に体感してもらえたらいいなって。そう思いながら撮っていったんですよね。