『名もなき者』で描きたかった天才の苦悩 ジェームズ・マンゴールドが語る“映画”への思い

ジェームズ・マンゴールド監督、映画への思い

 ティモシー・シャラメが若き日のボブ・ディランを演じ、第97回アカデミー賞で主要8部門にノミネートされた『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』。監督を務めたのは、これまでに『ウォーク・ザ・ライン/君につづく道』や『LOGAN/ローガン』、『フォードvsフェラーリ』などを手がけてきたジェームズ・マンゴールド。プロモーションのために来日したマンゴールド監督に、制作の裏側や“映画”に対する熱い思いを語ってもらった。

“天才”であることにまつわるいろんな側面を描いた『名もなき者』

ーー『ウォーク・ザ・ライン/君につづく道』でジョニー・キャッシュを描いた経験のあるあなたがボブ・ディランの映画を作ると最初に知ったとき、ものすごく興奮したのを覚えています。そもそも今回の企画にはどういう経緯で携わることになったんですか?

ジェームズ・マンゴールド(以下、マンゴールド):実は、最初に私のところに話が来たときは、HBOで企画が開発されていました。ですが、原作を脚色する過程がうまくいかずに、頓挫してしまったんです。その後、ディズニーのサーチライト・ピクチャーズに企画が移って、そのまま私がやらせてもらえることになったんです。自分がこの作品に携わろうと思った最大の理由は、原作がとても面白かったから。そしてそれを映画にすることがチャレンジングだと思ったからです。一文なしの名もなき若い青年がニューヨークへやって来て、2年でセンセーションを巻き起こしてスターになる。それを映画で描くのが面白いと思ったんです。

ーーなるほど。

マンゴールド:それだけではなく、トライバリズム(部族中心主義)にも興味がありました。自分と同じようなタイプの人間と、そうじゃない人間を分けて対立させて物事を考えてしまうのは、現代の人々にも通じるところです。ですが、ボブ・ディランはそういうことを意識していない人だと思うんです。どちらかのサイドにつくことはなく、全て自分自身が軸になっている。ボブ・ディランを描くという点では、そういうところに興味がありました。

ーー今回、脚本のクレジットにはジェイ・コックスと共にあなたの名前も入っていましたが、脚本の執筆作業はどのように行われたんですか?

マンゴールド:ジェイが執筆した脚本がベースにあって、そこから私が書き換えました。大部分を自分が書き換えていて、脚本の構造も大きく変わっているんです。もともとの脚本では、ディランがニューヨークにやってくるところから始まっていませんでしたし、ジョーン・バエズ(モニカ・バルバロ)の登場シーンも少なかった。ジョニー・キャッシュ(ボイド・ホルブルック)もいませんでしたね。最初の脚本では1961年から1963年までのことはほとんど書かれていなかったのですが、私が興味を持ったのはむしろその時期だったんです。

ーーそれはなぜですか?

マンゴールド:私にとって、“はじまり”はいつも面白いものなんです。ある人物がどうやって自分の道を歩み始めるのか。そこに興味があるんですよね。だから逆に、「ボブ・ディランの晩年を描け」と言われても、どうやったらいいか見当もつきません。

ーー原作があるというものの、ディランのあの時代を描くことはあなたにとっても必然だったわけですね。

マンゴールド:そうですね。それに、私は過去にやったことを繰り返すことに全く消極的ではありません。“ミュージシャンを描いた作品”で言うと、さっき挙げてもらった『ウォーク・ザ・ライン/君につづく道』の経験がありましたが、絶対に同じ映画にはなりませんから。仮に、「同じ絵をもう一度書いてくれ」と言われても、完全に同じ絵にすることは不可能です。一方で、同じ映画を作りたいと思うこともありません。ジョニー・キャッシュとボブ・ディランの違いで言うと、ジョニー・キャッシュは彼の人生の中で、ものすごく大きなトラウマを抱えていました。ドラッグの依存症、兄の死、父親からの虐待……ジョニー・キャッシュはそういった心理的な傷を抱えていて、それはある意味とても“映画的”でした。逆に、ボブ・ディランの人生にはそういった明確なトラウマを私は感じませんでした。彼にトラウマがあったとしたら、才能が傑出していることに対するプレッシャーだったと思います。天才であるが故に、他の人たちと一線を引かれてしまう。この作品では、ディランのそういった部分を描くことに注力しました。

ーーディランの“天才であるが故の孤独”が画面からひしひしと伝わってきましたが、それは彼のようなミュージシャンだけではなく、あなたのような映画監督もそうですし、すべてのアーティストに共通するものでもありますよね。

マンゴールド:この映画を作った理由はまさにそこにあるんです。この映画は、見え方的には「ボブ・ディランの映画」ではありますが、私からしたら「天才であることにまつわるいろんな側面を描いた映画」です。ディランほどの人物になると、関わる人物の誰もがディランに対して何かしらの“対価”を求めることになりますし、彼に何か言いたいことがあるわけです。この映画を作る上でも、みんなそれぞれに“ボブ・ディラン像”があって、「自分にとってボブ・ディランは〜」と言いたがるんです。正直、疲弊してしまうこともありました(笑)。じゃあなんでフランク・シナトラはそういう対象ではないのか。なんでボブ・ディランだけがそうなのか。そういったところも個人的には非常に興味深かったです。「隠れたい」と思うディランの気持ちもすごくよく理解できました。

ーーそんなディランの内面をティモシー・シャラメが見事に表現していました。ビジュアルや歌声の再現度も目を見張るものがありました。本人の努力はもちろん、監督の演出にも大きな功績があったのではないかと思うのですが。

マンゴールド:私に功績があるかどうかはわかりませんが(笑)、ティモシーは本当に素晴らしい俳優です。彼のことが大好きですし、友人としても仕事仲間としても最高の存在です。彼は24歳から29歳の間の5年間、この作品に関わってくれました。彼の才能はもともと突出していましたが、この5年間でさらに成長したと思いますし、この年齢にしてすでに最高の俳優の1人だと思います。

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