『コクリコ坂から』をジブリの歴史から読む 随所に込められた東映動画のメタファーの数々

歴史で紐解く『コクリコ坂から』

 

8月21日の『金曜ロードSHOW!』(日本テレビ系)で放送される『コクリコ坂から』は、宮崎駿と丹羽圭子が『借りぐらしのアリエッティ』(2010年)に続いて脚本を手がけ、宮崎の息子の宮崎吾朗が監督したスタジオジブリの通算17本目の長編アニメーション映画である。佐山哲郎原作・高橋千鶴作画による1979〜80年発表の少女マンガを原作として、東日本大震災の発生した2011年に公開され、大ヒットを記録した。

 『コクリコ坂から』は、東京オリンピックを間近に控えた1963年、昭和38年の横浜が舞台。海を臨む小高い丘の上に立つ「コクリコ荘」で妹弟や祖母と暮らし、港南学園に通う高校生の「メル」こと松崎海(声:長澤まさみ)と先輩の風間俊(声:岡田准一)との出会いを軸にした、往年の日活青春歌謡ものを髣髴とさせる爽快な物語である。

 『コクリコ坂から』の2年後の2013年、この映画公開の年にはすでに企画が始動していた監督作『風立ちぬ』で、宮崎駿は長編アニメーション映画の監督からの引退を表明したことはよく知られているだろう(現在は撤回)。以前、別の場所でも指摘したことだが、この『風立ちぬ』にいたる2010年代前半は、宮崎駿自身やスタジオジブリにとっても、また彼を取り巻く外部の状況にとっても、宮崎やジブリの「歴史化」(と、その裏面での「ポスト宮崎」「ポストジブリ」探し)が一挙に本格化した時期だったのではないかと考えられる。その意味で、『コクリコ坂から』は、宮崎やジブリにまつわる歴史や記憶を横目に見ながら鑑賞すると、より味わい深いものになるのではないだろうか。このコラムでは、そうした視点から本作の見どころをまとめてみたい。

徳丸理事長のモデルの意味

 『コクリコ坂から』は、明治時代に建てられたという老朽化の激しい高校の男子部室棟「カルチェラタン」の取り壊しに反対する俊らが保存を求めて奮闘する様子が物語の主軸の一つとなっている。映画の後半で、俊とメルらは、学園の理事長を務めている実業家の徳丸理事長(声:香川照之)のいる東京の出版社の雑居ビルまで直談判に行く。彼らの熱い思いを聞いて一念発起した理事長は、約束した通りにカルチェラタンを直々に視察に訪れ、生徒たちの熱意に共感して建物の保存を正式に約束するのだ。

 ここで映画に登場する「徳丸ビル」と、そこで出版社を経営する徳丸理事長のモデルが、それぞれまさにスタジオジブリ設立に出資する徳間書店と、そのカリスマ的な創業者で、多くのジブリ映画の製作を務めた徳間康快(1921年〜2000年)であることは、吾朗監督も公言しており、比較的よく知られているこの作品のディテールかもしれない。しかもジブリプロデューサーの鈴木敏夫によれば、このキャラクターの登場は、宮崎駿が脚本でこだわったことの一つだったという(「社会全体が前向きだった時代を悪戦苦闘して描いた青春映画」、『ジブリの教科書17 コクリコ坂から』所収)。

 例えば、ジブリが発行するPR誌『熱風』での連載をまとめたノンフィクション『二階の住人とその時代――転形期のサブカルチャー私史』(星海社新書)の冒頭で大塚英志は、同時代のおたく文化を回顧しながら、そのことを実に印象的に指摘している。実際、作中の徳丸理事長の顔は、明らかに往年の徳間そっくりに描かれているし、徳間もまた母校の逗子開成学園の理事長を歴任していた。徳丸理事長との面会を待つメルらが座る廊下の椅子の横の壁に貼られた『アサヒ芸能』というポスターは、徳間書店が草創期から発行していた芸能週刊誌であり(ちなみに、徳間書店に入社した鈴木敏夫は一時期、この『週刊アサヒ芸能』の編集部にいた)、また、社長室で理事長とメルらが直談判するシーンで、メルの真後ろの壁に掲げられた「真善美」という書は、これも徳間が徳間書店創立以前に経営に参画していた出版社「真善美社」の社名に通じている。つまり、『コクリコ坂から』とは、主人公たちが徳間書店=徳間康快に頼んで、滅びかけた自分たちの伝統や歴史の遺物を守ろうとする物語なのだ。

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