『ディック・ロングはなぜ死んだのか?』は“衝撃的なテーマを描いた人間ドラマ” 監督が解説

監督が明かす『ディック・ロング~』製作秘話

 『スイス・アーミー・マン』のダニエル・シャイナート監督が再びA24と組んだダークコメディ『ディック・ロングはなぜ死んだのか?』が、8月7日から公開中だ。舞台は、アメリカの片田舎。売れないバンド仲間、ジーク、アール、ディックの3人は、ある晩、練習と称しガレージに集まりバカ騒ぎをしていたが、あることが原因でディックが突然死んでしまう。やがて殺人事件として警察の捜査が進む中、唯一真相を知っているジークとアールは彼の死因をひた隠しにし、自分たちの痕跡を揉み消そうとする。徐々に明らかになる“ディックの死の真相”とは……。

 リアルサウンド映画部では、メガホンを取ったシャイナート監督にインタビュー。長年コンビを組んでいるダニエル・クワンとの共同ではなく単独監督作となった背景、驚きの結末が明かされる本作の演出面で意識したこと、そして名だたる俳優たちにオファーを断られ、自らディック・ロング役を演じることになった背景などについて、質問をぶつけてみた。

「各シーンをいかに興味深く見せるかが重要だった」

ーーあなたにとって長編映画第1作となった前作『スイス・アーミー・マン』はダニエル・クワンとの共同監督作でしたが、今回はあなたの単独監督作となります。また、脚本も手がけていた前作とは違い、本作はビリー・チューが脚本を手がけていますよね。次回作『Everything Everywhere All at Once(原題)』は再びダニエル・クワンとの共同監督作となりますが、本作があなたの単独監督作となった背景を教えてください。

ダニエル・シャイナート(以下、シャイナート):ビリーは昔からの親友で、彼が手がけた脚本はどれも好きなんだ。僕はこの作品の舞台になっているアラバマ州の出身だから、地元に戻って友人の脚本を映画化するというアイデアにとても惹かれた。それに、ダニエル(・クワン)が次回作(『Everything Everywhere All at Once』)の脚本の初稿に集中したいと言うから、僕はこの作品に専念して、できるだけ彼の邪魔をしないようにしたンダ。ビリーがいたから単独で撮っているという感覚はなかったよ。ショットリストなどに対して、誰からも異論が出ないのは少し寂しかったけどね。

ーー前回、『スイス・アーミー・マン』の際のインタビュー(参考:“死体のオナラでジェットスキー”はどう生まれた? 『スイス・アーミー・マン』監督インタビュー)では、2人で監督をやることのメリットが大きかったという話や、あなたからは「基本的にほとんどの作業をやってくれたのはダニエル・クワンだった」という話もありました。今回1人で監督をやってみて、2人でやるときとの違いなど、どのように感じましたか?

シャイナート:僕が小説の執筆より映画作りを好むのは、みんなとコラボレーションをすることができるからだ。ダニエルと一緒に監督するときは“2人の映画”になりがちだけど、今回は他のスタッフにもっと自由を与えることができたし、撮影監督やビリーたちと親密な関係を築くことができた。だから、スタッフにただ指示を出すイジワルな役というより、全体のキュレーター的な役割だったんだ。前作とはペースが違って、楽しかったよ。その直後にダニエルと『Everything Everywhere All at Once』を撮ったんだけど、それもまた変化があって新鮮に感じたね。

ーー今回はあなた自身が脚本を手がけていないとはいえ、『スイス・アーミー・マン』同様、映画のタイトル『The Death of Dick Long』が非常に重要な意味を持っていたり、ジャンルレスな面白さがあったりと、かなりの部分で繋がりがあるように感じました。あなたはストーリーについてはどの程度関与したんでしょう? また、前作と今作の関連性を、自身ではどのように考えていますか?

シャイナート:ビリーの脚本は初稿から最終稿まですべて読んだと思う。でも、自分が監督を務めることになるとは思ってもみなかった。単純に彼の書くものが好きだったんだ。だから10年に渡り、“偶然”脚本開発に関わったと言えるかもね。映画化の話が出てビリーに監督を頼まれたときは、地元のアラバマ州で撮影できるし、うれしかったよ。『スイス・アーミー・マン』とは違う作風の映画を作れるのが何よりも楽しみだった。好きな脚本を、好きなキャストと一緒に、各シーンをじっくりと撮影することができた。ダニエルとはいつもミュージックビデオ的な画を撮りがちだから、その点でも新鮮だったね。テーマ自体は、恥や社会的プレッシャーや個人的行動など、前作と似ていると思う。違う点を挙げるとしたら、本作は恐ろしい秘密が隠されているダークコメディで、前作は滞在的に抱いている社会への思いを森の中で思い巡らす瞑想的な作品と言えるかもしれない。と言いつつも、本作もミュージックビデオっぽいシーンは多いから、差別化は失敗に終わったのかも。

ーー「ディック・ロングはなぜ死んだのか?」という答えが明かされるまでの情報の出し方が絶妙だと思いました。一方で、具体的な死の描写は描かれていません。この辺りの見せ方について、意識したことを教えてください。

シャイナート:ビリーが脚本を練り直していく中で、そこは最もこだわっていた点だった。つまり、観客がいつ何を知るかだ。僕たちは登場人物の間に緊迫感を生み出そうとした。この作品では、ひとつの情報がそのシーンの雰囲気をがらりと変えてしまったりする。だからミステリーと言ってもアガサ・クリスティのような謎解きではなく、各シーンをいかに興味深く見せるかが重要だった。また、死は描写しないと最初から決めていたんだ。グロい、ショッキングな映画にしない方が面白いと分かっていたからね。衝撃的なテーマを描いた人間ドラマを目指していた。僕自身、怖い部分は見えない方が、背筋が凍るような恐怖を味わえる。頭に銃を突きつけられた人物が撃たれる瞬間は、実際に目にするより想像したほうが怖いだろ? この映画でもそうすべきだと信じていた。作品を観たあと、観客にはその状況を想像してほしかったんだ。

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