『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒』はなぜオーソドックスな内容になったのか?

『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒』はなぜオーソドックスな内容になったのか?

 90年代の『バットマン』アニメーションシリーズに、宿敵ジョーカーに恋をするヴィラン(悪役)として初登場したキャラクター、ハーレイ・クイン。近年のアメコミ実写映画ブームのなかで、ストリート風のカラフル&ポップ、もしくはパンクロック風の衣装を身につけたマーゴット・ロビーに演じられることで、その存在は映画のキャラクターとして人気を博すと同時に、作品の枠を飛び越えた一つのファッションアイコンにさえなった。

 ハーレイのキャラクターに手応えを感じたマーゴット・ロビーは、ハーレイの単独映画を企画し、彼女と共闘する女性ヒーローたちも登場する、女性たちを主人公としたアクション映画を提案したという。それが実現したのが、本作『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 BIRDS OF PREY』である。

 だが、奇抜なファッションのハーレイ・クインの映画としては、わりとオーソドックスな内容だと感じられる観客も多かったのではないだろうか。しかし、そこには現代ならでは、本作ならではの画期的な部分も複数用意されている。ここでは、本作が描き、達成したものが何であったかを、できるだけ深く読み解いていきたい。

 マーゴット・ロビーによるハーレイが初登場した『スーサイド・スクワッド』(2016年)では、化学薬品工場のタンクの薬液へダイブするシーンが示すように、“プリンちゃん(彼女が呼ぶジョーカーの愛称)命”を体現していたハーレイだったが、本作の冒頭ではあっさりとジョーカーに捨てられ、彼女にとっては、この世の終わりのような悪夢的な展開が描かれる。ハーレイは、ジョーカーあってこそ彼女でいられたのだ。

 しかし、それこそが本作にとって重要なプロセスだったことは間違いない。ここまで観客に愛されるハーレイが、ジョーカーにひざまずくだけの存在でいいのか。実際、『スーサイド・スクワッド』は、ジャレッド・レト演じるジョーカー役に不満を持つ観客が少なくなかったのに対し、ハーレイの方はほぼ絶賛一色だったのだ。

 ハーレイ単独の映画を作るとすれば、やはりいままでの“プリンちゃん命”のハーレイ像では厳しいはずだ。恋愛相手の言うことを聞いてばかりの主体性のない主人公では、内面的魅力に欠けるからである。その意味では、少なくとも『スーサイド・スクワッド』のハーレイは、あくまで外見的な魅力が主だったといえよう。本作は、そんなイメージを脱し、ハーレイが一人立ちし、文字通り“覚醒”していくのである。それは一つに、ヒーロー映画のなかで強いキャラクターを確立させようと意図した試みであるといえよう。

 本作は、そこに女性全体の自立をうながし励ましていく意味も持ち込んでいく。自立するハーレイと共闘するのが、ワシやタカなどの「猛禽類」を意味する、“BIRDS OF PREY(バーズ・オブ・プレイ)”の名を持つ、女性のヒーローチーム。彼女たちはみな、ハーレイと同様に、餌をもらって生きる、かごの中の小鳥ではなく、自分で食料を確保する存在へと成長していく女性たちによって構成されるチームである。

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