菊地成孔×森直人が語る、映画批評のスタンス 「湧いてくる悪文のリズムには忠実でありたい」

菊地成孔×森直人が語る、映画批評のスタンス

菊地「定型リズムは崩してなんぼ」

森:話が前後するようですけども、今回は校閲の方が厳しかったと伺っております。

菊地:これまでは、音楽と二足の草鞋でものを書いているからなのか、校閲が甘かったんです。意図しない誤字脱字はあるし、「てにをは」がおかしい。それに、僕にはセルフスラングみたいなものがあるわけです。いわゆる悪文というか。誤変換とか名前の打ち間違いを指摘されたときも、「これ狙いです」で通してきた。でも、今回は春日洋一郎さんという『映画芸術』出身のハードコアな校閲者がきました(笑)。今回一番びっくりしたのは、校閲者から戻ってきたゲラの厳しさですね。

菊地成孔

森:赤がたくさん(笑)。

菊地:共産主義の機関誌かってくらいページが真っ赤で(笑)。本当に背筋が震えました。校閲に桁違いの力学があるんですよね。この本の中に映画が何本あるのかわからないけど、春日さんはほぼ確実に全部の映画を観ているんです。それで僕の記憶違いを正してくれる。あとは、「アカデミー賞授賞式の映像を確認しましたが、菊地さんの言うようにレディ・ガガは移動舞台で登場したのではなく、幕が開いてステージ奥から登場する形でした」とか(笑)。書いてあった。

森:その直しは戦慄しますね!

菊地:僕みたいに勘と偽記憶で書いている人間、検索知らずの人間にこんな人がついたら、本ができるまでに何年かかるかわからないと思って緊張したんですけど(笑)。とにかく全部に対応しました。必死に(笑)。

森:もはや生徒と先生の関係ですよね。先生に怒られて直して(笑)。菊地さんはさっき悪文とおっしゃっていましたが、たとえば吉田健一さんのように、あえての悪文、あえての「てにをは」の間違いがある。菊地さんはそっちですよね。

森直人

菊地:自分の中から湧いてくる悪文のリズムには忠実であろうとしています。

森:ですよね。そこも直された場合はどうするんですか?

菊地:狙いだと言います。音楽もそうだけど、これまで決定的とされていたリズムが崩れて時代が変わっていくわけだから、定型リズムは崩してなんぼなわけですよね。でも、そこでも春日さんはすごくて、「ここ一般的な日本語としてはつながりませんが、狙いでしょうか?」って書いてくる(笑)。それが1ページごとにあるんです。

森:すごいですね。かっこいい審判じゃないですか。

菊地:すごくいい経験をしました。今までの本はある種のスノッブな恥ずかしさが入っています。「これ間違っているけど、敢えて出しちゃってるんだよね、へへへ」みたいな。リゴリスト、厳格主義者にとってはそういうスノッブさが鼻につきますよね。僕は、厳格主義者に好かれたくないから、厳格にやってないですけど。でも、今回の本は内容についてはちゃんとしているし、活字に関しては文句なしです。

森:リゴリストの校閲だったわけですからね(笑)。幸福な事故みたいな出会いだ。

菊地:そうですね。でも、フロイディアンとしてはなるべく記憶間違いを入れたいですよ。なんでこの人がこういう風に間違ったのか、というのは大切ですし、間違いのなかに鋭いセンスが光ることもあるわけです。それで思い出すのは、小説家の小林信彦さんが、デビューしたばかりのビートたけしさんに会ったときの話です。小林さんが星セントさんの師匠がわからなくて、たけしさんに聞いた。そしたら即答で「ああ、内藤陳ですよ」って言った。トリオ・ザ・パンチのね。

森:エンタメ小説狂、書評家としても知られる内藤陳さん。

菊地:それで「なるほど」と膝を打ったけど、あとから資料を確認したら間違っていた。でも、小林さんは「間違いにしても、内藤陳って即答したビートたけしのセンスは鋭い」って言ったんですよ。でも、今の世の中だと、間違ったら射殺ですよね(笑)。射殺、訂正、謝罪。検索によって無駄な知がついているから、イライラする人が多い。A面、昭和の頃は、伊藤博文をイトウハクブン候と読んだけど、そういう穏やかさがないですよね。菊地の“地”を間違って“池”でツイートしたら、「内容はともあれ、字が間違っていますよ」って返ってきます。でも、内容はともあれじゃなくて内容が問題なんだ、字は後回しなんだ、というのは言った方がいいと思いました。名前なんてどうだっていいですよ。でも、やっぱり出版するからには校閲者はいたほうがいいですね(笑)。この本の格みたいなものを一段引き上げてくださったと思っています。

森:そこは話がぐるぐる回りますね(笑)。

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