菊地成孔×森直人が語る、映画批評のスタンス 「湧いてくる悪文のリズムには忠実でありたい」
菊地「言えないことが病床みたいになっている」
森:また、面白かったのが、菊地さんがご自分の映画の推薦コメントに、ご自身でツッコミを入れる珍しい章が設けられています。
菊地:3章ですね。「ノーコメント復権の日に向けて(コメント芸の日々)」というタイトルです。今ってみなさん、あらゆることにコメントしたくてしょうがないですよね。スペイン料理屋に行ったら、パスタパエリアが美味しかったとかまずかったとか、絶対にコメントする。映画なんか観るとなおさらでしょ。絶対に黙っていられない。それって相当怖いことです。人間というのは、思っても言わないことの蓄積で深みを溜め込んでるわけですが、SNSによってそれを抑えられない体になっている。でも、それで全部言っているかといえば、そうじゃないですよね。たとえば、好きな人に好きだというのはなかなか言えない。そうすると、A面の昭和の頃からずっとテーマとしてある、好きな人に告白できない、あるいは、お前が嫌いだからこの職場を辞めるとは言えないっていうのは残っている。
森:そうですよね。
菊地:だけど、「言えないこと以外」に対して何か言うことに関しては筒抜けになっている。そうすると、言いたくても言えないことの辛さが倍加しちゃいます。昭和だと、映画を観て何か言おうとしても言わないし、そうやって言わない力が蓄えられていたから、相対的に好きな人に好きと言えないことの意味は高くなかった。一方で、今はなんでもコメントができる前提だから、言えないことが病床みたいになっている。SNSなんて、何見たってイライラすると思うんですよ(笑)。相互的にイライラさせるメディアなので、そうするとまたコメントしたくなっちゃうから悪循環でしょ。言えないことあるのが普通ですよ。なので、昔はノーコメントというものがあったんです。黙って一晩過ごし、そのうち忘れてしまう能力を、人間は失っているんだよね。僕は人間がもっとノーコメントになるべきだと思います。だからこそ、10日に1回、(三船敏郎のモノマネで)「今日の味噌汁はうまいな」というのが、とんでもなく嬉しくなるわけじゃないですか(笑)。
森:10日分溜めたら(笑)。
菊地:毎日毎日、「今日の味噌汁の出来が」とかをいちいち書いていたら、ある日美味しかったときの喜びがへったくれになりますよね。
森:そこで、3章に書いてある映画コメントのインフレにつながるんですね。
菊地:そう、コメントのインフレーションが起こる。今はインフレとSNS時代の到来によって、映画1本のコメントの報酬はあまり高くないです。そうすると、みんな手を抜く。結局、「すごく感動しました」、「震えた」、「みなさんにもぜひ見てもらいたいです」ってコメントが増えちゃいます。でも、ちゃんと心のこもったコメントや気の利いたことを言おうと思ったら、その映画に惚れ込まなきゃいけない。僕がこの本で提唱しているのは、映画会社が、SNSの無名の人でもいいから、辛口でも甘口でも、寸鉄人を差すうまいコメントができる人に、公式の宣伝コメントの仕事を解放すればいいってことです。昔はコメントを映画会社の宣伝係がやっていて、そういった人たちが有識者になっていったのだから、さらに一般に解放すればいい。そしたら質が上がってインフレーションが止まる。商品価値が上がれば報酬も上がる。それで、全員が幸せになるという風に世の中が向いていけばいい。いかんせん、自分でもたくさんコメントの仕事をしてしまっているのですが、一応僕は自分のコメントにリコメントまでしているし、手は抜いてない。その誠実さを認めて頂きたい(笑)という気持ちで、この章を設けようと思いました(笑)。
森:でも、大きいテーマですよね。「口を慎むべきだ」というこの本の帯文にもつながってきます。
菊地:ちなみに「口を慎め」っていうのは、カニエ・ウェストのパンチラインです。カニエは二言目には「口を慎め」って言うので、やっぱり今の時代に合っていますね。それで、この帯に書いてある「口を慎め」について言うと、僕は映画音楽もやったし、よせばいいのに出演もしています。
森:冨永昌敬監督の『素敵なダイナマイトスキャンダル』でアラーキーの役を。
菊地:映画のバックヤードを知っているわけですよ。バックヤードを知ると、評論はできないという人もいるじゃないですか。手品を後ろから見たら、こんなに簡単なのかと、普通は冷めるわけです。でも、自分はバックヤードを見まくったけど、幻滅もしてないし、相変わらず映画を愛している。なにが言いたいかというと、なにかに対して幻滅や絶望、そういうネガティブを感じた場合は、なるべく口を慎むべきということです。幻滅したことをこんな大人数で言ったら、環境が汚染されるからね。「Twitter」って鳥のさえずりのことですよね。あらゆる鳥が「人間死ね」って言ったとするじゃないですか。人間にはわからないから鳥の声は綺麗だなと言っていたのが、そうでなければ大変な罵倒、ディスりですよね。だから、通信の電力を使って、みんなが悪いものを悪いと言うよりも、まあ嫌かなと思ったら黙ってやり過ごす方がいい。あの蕎麦屋がまずいと言わなくても、行かなくなればやがて潰れるよ、というのが昭和落語のクリシェですから。そういう風にしていきましょうと。