【ネタバレあり】『パラサイト 半地下の家族』は何が凄いのか? ポン・ジュノ監督の“建築的感性”を紐解く
自分が参加している企画の件で恐縮だが、新年早々(2020年1月9日の朝)、ウチの近所のセブンイレブンで『週刊文春』を開いた時、思わずデカい声をあげそうになった。計五人の評者による新作映画のクロスレビュー欄「シネマチャート」で、ポン・ジュノ監督の『パラサイト 半地下の家族』が堂々25点満点(各々5点満点で採点)をマークしていたのだ。こんなのは筆者が加わってから6年近くの間で初めてのこと。まさかこの奇跡の光景が見られるとは思わなかった。
ちなみに本欄は毎回二本セットで話題の新作を取り上げているのだが、その時の相手となったのがこちらも大傑作の『フォードvsフェラーリ』(監督:ジェームズ・マンゴールド)で、スコアは24点。通常ならぶっちぎりでチェッカーフラッグを浴びている成績だが、ライバルが凄すぎた。もちろん映画には受け手によって多様な哲学や価値観、評価軸があり、好みも分かれる。だからいくら海外から鳴り物入りで輸入されようとも、シネマチャートでは「権力チェック」とばかりに、既存の支持に対して誰かが「待った」をかける。『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』は24点だし、『ジョーカー』は23点。アカデミー賞作品賞に輝いた『グリーンブック』などは20点に留まっている(僭越ながら筆者が「3点」をつけた)。
しかし『パラサイト 半地下の家族』はめったにパスできない「権力チェック」をすり抜けてしまった。恐ろしいことに満場一致でポン・ジュノ政権樹立である。この評価を絶対視するにはさらに厳しいチェックが必要かもしれないが、とりあえず無双の絶賛を得た本作のことを、しばらく「現代映画の最高峰」と呼んでも差し支えないのではないか。
では『パラサイト 半地下の家族』はいったい何がそんなに凄いのか? なんとも途方に暮れる設問で、筆者の粗末な脳みそで真面に立ち向かうと気絶しそうになるが、まずはその圧倒的卓越の根幹を「設計思想」の素晴らしさに求めることは的外れではないだろう。
実は昨年末、オムニバス『TOKYO!』の『シェイキング東京』(2008年)と、あの『母なる証明』(2009年)でポン・ジュノ組の助監督を務めていた『岬の兄妹』の驚異&脅威の新人監督、片山慎三と2時間以上に渡って『パラサイト 半地下の家族』についてみっちり語り合う機会を得た。その時に片山監督が放った以下の発言が見事にこの映画の「設計思想」の本質を突いていると思う。
「観る前は『下女』(1960年/監督:キム・ギヨン)的な内容をイメージしていて、確かに途中まではその通りの展開だったんですけど、ある段階以降は今までにないなって。当て嵌める映画がまったく思いつかなかったんですよね」(YouTubeチャンネル『活弁シネマ倶楽部』#63「ネタバレなし」篇より/2019年12月31日付)
筆者もほぼこの意見に同意する。片山監督は続けて「発明」という言葉を使ったが、筆者は「見たことのない建築」を目の当たりにしたという感覚だった。結果的には驚愕のオリジナリティに満ちているのだが、ただし使っている材料は全部「在りもの」という点が重要である。
片山監督も例に出しているように、『パラサイト 半地下の家族』のいちばんのベースは韓国映画の古典にして特濃のカルト作『下女』だ。イム・サンス監督が『ハウスメイド』(2010年)としてリメイクしており、大金持ちの屋敷で働くことなったメイド女子の壮絶すぎる運命を通して、階級問題が鋭利に可視化されたハードコアな内容。ポン・ジュノ自身も影響関係を公言しているように、『パラサイト 半地下の家族』は明確に『下女』の系譜に則って土台が作られ、そこから多種多様なエレメントが導入・接続されていく。