『スキャンダル』が投げかける重いテーマ “権力”と“男らしさ”の分かち難い関係性を考える

『スキャンダル』が投げかける重いテーマ

 本作はハラスメントがテーマだが、同時に権力についての物語でもある。権力が何より偉大であると考える人々は、権力者が問題を起こしても見て見ぬふりをしてしまう。「権力者はたぐいまれなる能力でビジネスを成功させ、われわれに職を与え、生活を支えている。彼がどれほどの人々の暮らしを守っているか。彼を訴えてもいいが、路頭に迷う従業員の暮らしの責任を取れるのか?」というように。権力を崇拝する多くの人々によって、権力者はやがて絶大な力を持つ存在となり、どのような不品行も咎められない状態へ到達する。周囲がCEOのハラスメントを黙認する態度につながったのも不思議ではない。ワインスタイン事件がそうであったように、人々が権力を「何よりも偉大なもの」ととらえる限り、多くの人がその事実を知りながら口をつぐみ、長期に渡ってハラスメントが継続するのだ。

 こうしたいびつな権力の構造を「男性性」というキーワードで読み解いた『男らしさの終焉』(フィルムアート社)の著者グレイソン・ペリーは、男性性とは「強くあれ、与えろ」という態度に象徴されると論じている。男性たるもの強くなくてはならず、与える立場になれというわけだ。ハラスメントで訴えられたCEO、ロジャー・エイルズは「自分は会社をここまで大きくし、利益を生み出し、たくさんの従業員を養ってきたではないか」と不満を述べる。男性性は権力を求めて止まない。ビジネスを成功させ、業界で大きな権力を持つまでにのし上がったCEOを「男らしい」「立派だ」と崇める態度によって、悪質なハラスメントは温存されてしまった。

 かかる男らしさと権力の関係性について、『ボーイズ 男の子はなぜ「男らしく」育つのか』(DU BOOKS)の著者レイチェル・ギーザはこう論じる。「今なお、権力をもつ者、もつべきものにとってはマスキュリニティ(著者注:男らしさの意)の特性を有していることが標準とみなされているだけではなく、それこそが適した特性だと考えられている」。指摘されている通り、ハラスメントや権力への渇望は、「男らしさ」の規範と分かちがたく結びついている。CEOロジャー・エイルズはおそらく、自分自身を誰よりも「男らしい」存在だと感じていただろう。われわれは、権力(=男らしさ)を偉大なものとして崇拝する態度を変える必要があるのではないか。

 3人の女性が勝ち取った勝利は、決して爽快ではない。その苦い勝利、後味の悪さを含めて、『スキャンダル』が投げかけるテーマは重い。「男らしさに疑問をもつ必要があること、ジェンダーの不平等はすべての人にとって大きな課題であること、その不平等がなくなれば世界はもっとよくなること」(『男らしさの終焉』)をより深く理解するため、『スキャンダル』は最適な映画となるだろう。

■伊藤聡
海外文学批評、映画批評を中心に執筆。cakesにて映画評を連載中。著書『生きる技術は名作に学べ』(ソフトバンク新書)。

■公開情報
『スキャンダル』
全国公開中
出演:シャーリーズ・セロン、ニコール・キッドマン、マーゴット・ロビー、ジョン・リスゴー
監督:ジェイ・ローチ
脚本:チャールズ・ランドルフ
配給:ギャガ
原題:Bombshell/2019/アメリカ・カナダ/カラー/シネスコ/5.1ch デジタル/109 分/字幕翻訳:松浦美奈
(c)Lions Gate Entertainment Inc.

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