『パラサイト』は“百花繚乱の時代”の象徴に? 『シュリ』から始まった韓国映画の20年

『パラサイト』までの韓国映画を振り返る 

国際映画祭で躍進する、“作家主義”の監督たち

 その一方で、国際映画祭における韓国映画の躍進も忘れてはならないだろう。2000年以降、積極的に海外の映画祭に出品するようになった韓国映画は、イ・チャンドン監督の『オアシス』(2002年)が同年のヴェネチア国際映画祭で銀獅子賞(監督賞)を受賞したのを皮切りに、キム・ギドク監督の『うつせみ』(2004年)が2004年の同映画祭で同じく銀獅子賞を獲得、同監督の『サマリア』(2004年)が同年のベルリン国際映画祭で銀熊賞(監督賞)を受賞するなど、国際映画祭の場でも徐々に高い評価を獲得するようになっていったのだ。

『オアシス』(c)2002 Cineclick Asia All Rights Reserved.

 そのなかでも、日本においてとりわけインパクトが大きかったのは、2004年のカンヌ国際映画祭で審査員特別グランプリを受賞した、パク・チャヌク監督の『オールド・ボーイ』(2003年)だった。同映画祭の審査員長を務めていたのがクエンティン・タランティーノ監督だったという事実もさることながら、この映画の原作は、90年代の後半に『漫画アクション』で連載されていた同名の日本の漫画だったのだ。かくして、1954年生まれのイ・チャンドン、1960年生まれのキム・ギドク、1963年生まれのパク・チャヌクーーこの3人の韓国人監督が、以降現在に至るまで、カンヌ、ヴェネチア、ベルリンなど国際映画祭の常連となり、韓国映画に対するイメージを次々と塗り替えていくのだった。

『息もできない』の衝撃と“第二次韓流ブーム”

 『私の頭の中の消しゴム』をピークとする“第一次韓流ブーム”の収束により、やや沈静化したように思えた日本における韓国映画の盛り上がりだが、人材の交流などは、この時期にも引き続き活発に行われていたようだ。ポン・ジュノ監督の長編デビュー作である『ほえる犬は噛まない』(2000年)や、『オールド・ボーイ』と並ぶパク・チャヌク監督の「復讐三部作」のひとつである『復讐者に憐れみを』(2002年)などに出演していたペ・ドゥナが、山下敦弘監督の『リンダ リンダ リンダ』(2005年)や、是枝裕和監督の『空気人形』(2009年)に出演したのは、この頃の出来事である。さらに2006年には、VFXを駆使した韓国では珍しい“怪獣パニック映画”となった、ポン・ジュノ監督の『グエムル -漢江の怪物-』(2006年)が日本でも公開される。本国における大ヒットに比べると、日本ではそこまでヒットしなかった本作だが、世界23ヶ国で公開されるなど、韓国映画としては異例の公開規模となったこの映画は、国際的な評価を持つ先述の3人の監督よりひと回り下の世代となる、1969年生まれのポン・ジュノ監督の名前を一躍世界に知らしめた作品として、実は重要な意味を持っていたのではないだろうか。

『息もできない』

 しかし、この時期の韓国映画で、個人的に最も強く印象に残っているのは、2010年に日本公開され、今は無き渋谷シネマライズを中心にロングヒットを記録した、ヤン・イクチュン監督の『息もできない』(2008年)だった。監督はもちろん、製作・脚本・編集・主演をすべてヤン・イクチュンが務めた、韓国映画では珍しい小規模なインディペンデント作品となった本作。その衝撃と破壊力は抜群だった。取り立て屋の男と女子高生ーー胸の内に深い“孤独”を抱えた男女の“恋愛ではない”心の交流と、その後辿ることになる悲劇。そのヒリヒリとした質感と画面から溢れ出る切実な思いは、もはや“韓国映画”という括りを超えて、多くの人々の心をえぐったのだ。かくして、前年の東京フィルメックスで最優秀作品賞と観客賞をダブル受賞したことを皮切りに、2010年の「キネマ旬報ベスト・テン:外国映画ベスト・テン」の第1位に選出されるなど、日本でも多くの映画賞に輝いた。それは、当時類型化されつつあった韓国映画への認識を、改めてフラットに戻すような、実に意味のある作品だったように思うのだ。ちなみに2010年は、少女時代とKARAが正式に日本デビューを果たした年であり、いわゆる“K-POP”が牽引する形で“第二次韓流ブーム”が日本で巻き起こっていった時期でもあった。そう、映画やドラマのみならず、音楽も含めた“エンターテインメントの輸出国”としての韓国のイメージは、この時期に確固たるものとなっていったのだ。

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