『ドクター・スリープ』に見る、マイク・フラナガン監督の魔術的ストーリーテリング

『ドクター・スリープ』のストーリーテリング

 鬼才スタンリー・キューブリックによる映画版『シャイニング』(1980年)。その圧倒的でトラウマティックな映像美は、長きにわたり人々を虜にしてきた。しかし、この映画版『シャイニング』は呪われている。原作者スティーヴン・キング自身がかけた呪いだ。彼は映画版『シャイニング』を「Like A Big, Beautiful Cadillac With No Engine Inside It」(中身空っぽのド派手なキャデラックみたいなものだ)などと酷評し、1997年には友人である監督ミック・ギャリスと組み、原作に忠実なTVシリーズを作り上げるほど嫌っている。

 さらに2017に刊行された続編『ドクター・スリープ』の“あとがき”で「なんであんなものが恐怖映画の名作として評価されているのか、私にはさっぱり判らない」と恨み節を炸裂させ、40年たった今でも許していないことを吐露した。まさに呪いだ! まるでキング自身が“オーバールック・ホテル”と化してしまったかのようである。なんと恐ろしいことか。

 映画版は、緻密に作り込んだ映像に重点をおき、ホテルの不気味さと閉塞感で気が狂う一家を描き出した。しかし、その一方で原作の軸になっていたトランス一家の内面描写、そしてキング自身も悩まされていたアルコール依存問題を完全に無視しているため、キングが不満を抱く気持ちは理解できる。だがキューブリックの映像美は、決して酷評に値しない。つまるところ映画も小説も名作なのだ。さて、ここで問題になるのが映画『ドクター・スリープ』は映画版の続編になるのか? それとも原作どおりの続編になるのか? という点だ。そもそも原作では映画版とは違い、“オーバールック・ホテル”は焼失してしまっているわけで、一筋縄では行かないことは一目瞭然。

 『シャイニング』の映画版ファン、原作ファン双方を満足させなければならない……この難題に挑んだのはマイク・フラナガン。『シャイニング』の原作が刊行された翌年1978年ミシガン州セーラム(『死霊伝説』のセーラムではない)生まれ、41歳の中堅監督である。幼少の頃からVHSで短編映画を制作していたフラナガンは、その経験を生かし高校卒業後、即キャリアをスタートさせる。いくつかのドラマ映画製作に関わった後、短編ホラー『OCULUS Chapter 3 - The Man with the Plan』(2005年)が好評を得たことからホラー映画監督へと転身。キックスターターで資金を募り『人喰い MANEATER-TUNNEL』(2010年)を制作、低予算ながらも巧みなストーリーテリングは絶賛された。これを皮切りに彼の快進撃が始まる……というか、転機となった『OCULUS~』のセルフリメイク『オキュラス 怨霊鏡』(2013年)で突如、独自の作風をもった唯一無二のホラー映画監督へと変貌を遂げるのだ。

 『オキュラス~』は、呪いの鏡に両親を取り殺された姉弟が、鏡を破壊しようと奮闘する物語。フラナガンはこの作品で、縦横無尽に動くカメラ、不安定な時間軸、現実と幻覚をシームレスに行き来する表現を用いて、観客を混乱と恐怖と絶望のどん底に叩き込んだ。特に彼の真骨頂である、現在と過去の出来事を同時に一つのカメラに収める手法は、小説の叙述トリックのように我々を騙す。以降、フラナガンはこれらの手法を解体、再構築を繰り返し行っている。

 ろうあの作家が山中の屋敷で殺人鬼に襲われる『サイレンス』(2016年)、見ている夢が現実世界を侵食する『ソムニア-悪夢の少年-』(2016年)、凡作である一作目を遙かに超える評価を得た『ウィジャ ビギニング ~呪い襲い殺す~』(2016年)、幽霊が映り込んでいると話題になったNetflixオリジナルシリーズ『ザ・ホーンティング・オブ・ヒルハウス』(2018年)、そしてベッドに手錠で繋がれた女性のサバイバルを描いたキング原作の『ジェラルドのゲーム』(2017年)。どれも基本的に全く同じ手法が用いられている。

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