“山田裕貴=川端悠理”の切実な叫びが響くーー前川知大『終わりのない』が描くのは“意識の旅”

“山田裕貴=川端悠理”の切実な叫びが響くーー前川知大『終わりのない』が描くのは“意識の旅”

 もしかすると私たちは、いま旅の途上にあるのかもしれないーー。世田谷パブリックシアターにて幕を開けた舞台『終わりのない』の主演である山田裕貴の、語り、叫ぶ姿を見て、そうしみじみと考えさせられる。本作は、古代ギリシャの叙事詩『オデュッセイア』を原典とした、前川知大の作・演出によるSF作品だ。

 私たち人間には「ひらめき」というものがある。これは、個人の「意識」、あるいは「無意識」から生まれるものなのだろうか。それは、どこから生まれてくるのか、果たして本当に「私」のものなのか。主人公の少年・川端悠理(山田)の意識を通して、私たちはともに旅に出ることになる。その旅先は、はるか遠い未来の宇宙であり、また、現在とは“ちょっとだけ違う”現在だ。

山田裕貴による、劇世界への誘い


 3年ぶりの舞台で山田が演じるのは、高校3年生のまだ未熟な少年。彼は水難事故によって、32世紀の宇宙船の中で目を覚ますことになる。意識は21世紀の彼のままだが、その肉体に関しては、どうやら“悠理にそっくり”なだけらしい。そこでは意識だけが共有された、“ユーリ”として存在するのだ。

 山田演じるこの悠理/ユーリは、主人公であるのと同時に狂言回しでもあり、彼が背負っているものは非常に大きく重いはず。彼は共演者たちだけでなく、客席に語りかけることによって、私たちとも文字通り対峙しなければならないのである。現在と未来、日常と宇宙とを往還する物語の核でありながら、複雑怪奇な劇世界へと誘い、観客の意識をナビゲートする役どころを山田は務めなければならない。彼が「僕の物語」として自身について語っていく構成となっているが、そこで語られる旅の過程と終着点で体現する成長は、“ささやか”ながらも、その果てに得た経験は“壮大”であることを思わせる。やがて劇場内に響き渡る“山田裕貴=川端悠理”の叫びは、それほどの切実なものとして、私たちの耳に残り、脳内で響き続けることだろう。

奈緒の持つ、新鮮さと神聖さ

 悠理がユーリとして旅に出るきっかけとなるヒロイン・能海杏は、奈緒が演じている。一人の少年の未熟さに端を発する物語だが、それを誘引する役割を彼女が引き受けた。そんな奈緒にとっては本作が初舞台。筆者は、稽古が始まったばかりの彼女にインタビューをしたのだが、当初はやはり少なからぬプレッシャーを感じていたようだ(参考:「奈緒が語る、初舞台『終わりのない』に向けて)。しかしこのところ、次から次へと魅力を開花させている奈緒なだけに、いち観客であるこちら側としては楽しみで仕方なかった。実際、彼女の声や佇まいから感じられる透明感は、触れようとすれば離れ、離れようとすればそこに立ち現れてくるような、独特の新鮮さと神聖さが同居している。これは物語のテーマの一つである、「ノスタルジー」に通じるものとも思えた。

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