『ルパンの娘』煌びやかさの裏にあったノスタルジックな哀愁 物語を支えた心優しき“影の存在”たち
『ルパンの娘』(フジテレビ系)がついに最終回を迎える。華(深田恭子)と和馬(瀬戸康史)、エミリ(岸井ゆきの)。切ない恋心のすれ違いは、それぞれの祖父母たちの60年越しの因縁までも背負って、どこまでも高く飛翔しつつある。
『翔んで埼玉』、『デート~恋とはどんなものかしら~』(フジテレビ系)の武内英樹らが演出、『翔んで埼玉』、『グッド・ドクター』(フジテレビ系)の徳永友一が脚本を手がけたこのドラマの面白さは、こだわり尽くされた「濃厚さ」にあった。煌びやかすぎる画面の裏に潜むノスタルジックな哀愁と、突如始まるミュージカル。
泥棒一家と警察一家の子供として生まれた、華と和馬が禁断の恋に落ち、共に運命を乗り越えようとする「ロミオとジュリエット」的展開と、終盤の、スマートかつキュートに悪を懲らしめる義賊「Lの一族」の大活劇という、煌びやかな本筋は圧倒的であった。しかし、それを支えていたのは、ひっそりと健気に微笑んでいる「感情を○○でしか表現することができない」不器用で優しい登場人物たちという影の存在がいるからこその面白さだったのではないだろうか。
個人的に“神回”だったのは第8話の一家離散回である。『君の名は』の「真知子巻き」をした華がそばを啜る場面において、その背後では、息子2人を連れた母親が「一杯のかけそばをください」と言い、栗良平『一杯のかけそば』の世界が繰り広げられている。華の父親・尊(渡部篤郎)扮する元トラック野郎の流しの男は、明らかに菅原文太の『トラック野郎』シリーズのオマージュであり、それに対して、デコトラで盗み出した「不器用な男」はまるで高倉健であるかのように「自分は」と言いながら『幸せの黄色いハンカチ』の風景を見つめる。華の祖母・マツ(どんぐり)は、夫役の麿赤兒の舞踏家としての白塗り姿にかかっているのかいないのか、白塗りの“オオサカジェーン”、つまりは伝説の娼婦・ヨコハマメリーに扮する。
10話における、ミュージカル女優としての貫禄を見せつけたマルシア演じる和馬の母親・美佐子と円城寺(大貫勇輔)のデュエットの「もう一度あなたを産みたい」ソングは、舞台『身毒丸』さえ思わせる謎めいた歌詞と熱演だった。過剰なほど煌びやかな『ルパンの娘』のメインヴィジュアルとは対照的に、小ネタに漂うノスタルジックな哀愁、アングラ臭といったものにいつも心が躍ってしまう。
前述した「感情を○○でしか表現することができない」登場人物とは、3人いる。
1人は「感情を、タブレットを通した音声でしか表現することができない」栗原類演じる華の兄・渉である。優しすぎるから泥棒には向いていない家族思いで引きこもりのハッカー。タブレットを通した音声でしか話せないからこそ、素直な心情の独白と家族に向けた言葉が一緒くたになって、無機質な音声として表出されるユニークさと可愛らしさがある。8話の公園生活における子供たちとの「てんとう虫の神様」エピソードでは、懐かしくも優しい物語にホロリとさせられた。