『帰れない二人』ジャ・ジャンクー監督のこれまでを辿る冒険に 背景に描かれる中国の変化とは

『帰れない二人』背景にある中国の変化

 帰れない二人、という文字列を見るとどうしても、井上陽水と忌野清志郎の名曲を想起してしまい、それと同時に相米慎二監督の名作『東京上空いらっしゃいませ』の素晴らしいワンシーンが頭をよぎってしまうのは致し方あるまい。日本公開タイトルとして、その『帰れない二人』と名付けられた、中国第六世代を代表する映画監督ジャ・ジャンクーの最新作の英題は『Ash is Purest White』。訳すれば「純白の灰」ということになるか。

 これは劇中の序盤でチャオ・タオ演じる主人公が語る、「火山の灰は高温で燃焼しているから、灰も純化している」という台詞から来ているものだろう。物語の舞台である山西省の大同は、中国有数の炭鉱町。石炭からこぼれ落ちる灰は純白とは対照的に真っ黒だ。前述の台詞にリャオ・ファン演じるビンはこう返す。「灰なんて誰も気にも留めない」。現状とは相対するものへの憧れと、変化していくことへの希望と不安、そして何より、市井の人々が気に留めないうちに世の中がどんどん変わっていく、取り残されてしまうということを表しているのかもしれない。

 またこの映画、原題では「江湖儿女」という。『小城之春』のフェイ・ムー監督が晩年に取り組んでいた作品から拝借したというこのタイトルが示す通り、江湖、いわゆる堅気ではない世界に生きる男ビンと、その恋人であるチャオの17年間にわたる恋愛模様が2001年夏の大同(北京から約300キロほど西にある乾燥地で、ジャ・ジャンクー監督の故郷である汾陽と同じ省にありながら400キロ近く離れた場所だ)から描かれていく(ちなみに“儿女”とは男女を示している)。ところが、ある事件によってそれぞれ刑務所に収容されることになった二人は離れ離れとなり、チャオは5年後に出所。先に出所していたビンを探すために長江の中流にある奉節へたどり着くのだ。

 2001年の大同といえば、監督の初期の傑作『青の稲妻』と同じ舞台設定である。しかも、チャオ・タオが演じる役名も同じ“チャオ”という共通点がある。そして本作の第二の舞台である2006年の奉節というのもまた『長江哀歌』と同じ舞台設定であり、この場所を描く上で避けては通れない三峡ダムが産業の発展の象徴として君臨する。他にも時代を隔ててめまぐるしい変化を辿るプロセスは前作『山河ノスタルジア』に通じるなど、本作は中国文化の激動の18年を辿りながら、ジャ・ジャンクーのフィルモグラフィーを辿る冒険でもあり、また彼と彼のミューズであるチャオ・タオの歴史を辿る映画という側面も持ち合わせているのである。

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