内田裕也、ロックと映画の交わる道を実践しつづけてきた男 日本映画界における功績を振り返る

 最後の出演映画となった手塚眞監督の『星くず兄弟の新たな伝説』(2018年)で内田裕也が演じた役はロックの神様。鶴のように細い身体とサングラス、ロン毛の白髪と手には杖。晩年にすっかりおなじみとなった姿で、つまり「シェキナベイビー」で「ロケンロール」なパブリック・イメージそのままで、演技ともいえぬ内田裕也そのひととして出ている。老ケンローラーの最後の雄姿。

『内田裕也 俺は最低な奴さ』

 手塚眞の商業映画デビュー作『星くず兄弟の伝説』(1985年)は架空のロック・ミュージカル映画のサントラ盤として発表された近田春夫の同名アルバム(80年)を原案に手塚眞が監督。その33年ぶりの続編でありリブートでもある『星くず兄弟の新たな伝説』は手塚と近田にとって、内田裕也というロックと映画のアイコンの出演は、単なる内輪の友情出演や箔つけのキャスト以上の意味があったはずである。

 手塚はオファーの経緯について「裕也さんは日本のインディーズ映画を支えてきた流れもあるじゃないですか。ロックと映画の交差点にいた方なんですよ」と語っていた。当人にもそう伝えたとしたら、泣かせる殺し文句である。内田裕也こそまさに、ロックと映画の交わる道をインディペンデントに実践しつづけてきた男なのだから。

ザ・芸能界から映画界の沼へ

 はじめて映画に出た『素晴らしい悪女』(1963年/監督:恩地日出夫)では金持ちのボンボンを演じたが、生まれも育ちも大阪なのになんであんなに関西弁がへたなのか。というより演技自体がお話にならない。本人もあくまで歌手の余技と割りきっていたのだろう、若大将、クレージー・キャッツ、コント55号、タイガース、ドリフターズなどの映画に登場してはちょっと笑いを提供してすぐに引っこむチョイ役に徹していた。その腰の軽さと演技の軽さは、ロックに操を立てつつ芸能界を軽薄に泳ぐ彼自身のスタンスを表していた。

 それが突然変わったのは『不連続殺人事件』(1977年/監督:曽根中生)からである。物語のキーとなる洋行帰りのアプレゲール画家を演じた内田裕也はいつもと勝手がちがい、本格的な芝居に手こずる。長台詞が出てこず、「ロックンロール!」とか言ってごまかそうとしたら「カット、カット、カット!」と監督から叱咤が飛んだ。現場の過酷な洗礼をはじめて浴びた内田裕也の新鮮な演技は評判となり、本人も映画は音楽と同様に表現の場たりうると考えたのか、以後演技の仕事が飛躍的に増えてゆく。とくに充実していたのは沈滞気味の日本映画にあってロマン・ポルノで気を吐いていた日活/にっかつの監督たちとの共闘。だめなヒモ男をいかにもかったるそうに演じる『実録不良少女 姦』(1977年/監督:藤田敏八)、業界臭ふんぷんたる台詞が笑わせる『新宿乱れ街 いくまで待って』(1977年:監督:曽根中生)、片桐夕子を相手に列車のトイレで白熱の濡れ場を演じた『桃尻娘 ピンク・ヒップ・ガール』(1978年/監督:小原宏裕)、男の色気あふれるショボクレ探偵にふんした初主演作『エロチックな関係』(1978年/監督:長谷部安春)、狂気の脱獄囚の静かな狂気が怖い『スーパーGUNレディ ワニ分署』(1979年/監督:曽根中生)と、短い場面でも画面に強烈な爪痕を残すバイプレイヤーとして、いつの間にか内田裕也は貴重な戦力として活躍していたのである。

若松孝二、神代辰巳との出会い

 そのさなかに作られた主演映画『餌食』(1979年)は裕也映画史において重要だ。やはり裸の映画のもういっぽうの雄、ピンク映画の鬼才・若松孝二との出会いの一作。挫折したロックシンガーの忠也は米国でレゲエミュージシャンに衝撃を受けて帰国するが、音楽業界は汚い連中に牛耳られていた……。成田空港に降り立った主人公がバスの車内でマリファナをふかす場面で幕を開けるこの映画は、かつて大麻取締法違反で逮捕され、フラワー・トラヴェリング・バンドをプロデュースして海外で評価されたものの日本国内では受け入れられなかった内田裕也そのひとの体験と思考が反映されている。業界に対する忠也の義憤はそのまま裕也の怒りだが、わからないのはなぜかラストで無差別大量虐殺に向かうことである。これは内田裕也というより監督若松孝二の夢想だろう。この映画で見せた内田裕也の演技はつづく『スーパーGUNレディ ワニ分署』(1979年/監督:曽根中生)の無慈悲に殺戮を展開する脱獄囚の狂気に発展する。何を考えているのかわからない寡黙な表情の下に名状しがたい感情の渦巻いているのが伝わる内田裕也の低温の演技は、今にして思えばビートたけしに先行するものだったのではないか。両者が結びついていったのも故ないことではない。

 『少女娼婦 けものみち』(1980年)で組んでいた神代辰巳監督の『嗚呼!おんなたち  猥歌』(1981年)は『餌食』とまたちがった角度から内田裕也そのひとを役柄に投影している。主人公は売れないロックシンガー。女たちのあいだをふらふらと漂い、でたらめな生活の果てにソープボーイにまで身を持ち崩す。どこまでも堕ちてゆく男を躊躇なく演じられるのは冷徹に自己を客観視できるからだ。情けない兄貴分にとことん尽くすマネージャー役の安岡力也の演技も泣かせる。ラストに流れる主題歌は萩原健一が1980年に発表した「ローリング・オン・ザ・ロード」。翌1981年に日劇が取り壊されるにあたって開催されたウエスタン・カーニバルのサヨナラ公演において、萩原健一が歌っているときにゲストに呼びこまれた沢田研二といっしょに歌ったライヴ・ヴァージョンである。主題歌なのに他人の曲それもライヴ音源とは型破りだが、自由を求めて転がりつづけることを歌ったこの曲が映画にふさわしいと内田裕也はこのとき判断したのだ。頭脳警察の曲からとった『コミック雑誌なんかいらない!』の映画タイトルしかり、無私の姿勢を貫けるのは根っからのプロデューサー気質である。

 ここまできたら映画の魔力に憑りつかれるしかない。カメラ=万年筆ではない。内田裕也にとって映画=ロックなのだ。若松孝二と再び組んだ『水のないプール』(1982年)、崔洋一の監督デビュー作となった『十階のモスキート』(1983年)と現実の犯罪事件に材を取った映画を連作する。市井の平凡な人間たちによるちんけな犯罪からみた作劇が社会を炙り出す。作品は実質内田裕也の企画・プロデュースであり、後者では脚本に名を連ねた。ここまで映画製作にのめり込むと監督に触手を伸ばすのがふつうだろうが、内田裕也が特異なのは脚本を書いてもけっして監督への色気をみせないこと。どこまでも醒めた観察眼の持ち主なのである。

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