『ビューティフル・ボーイ』は今こそ観るべき1本 ドラッグ依存症に立ち向かうサポートと愛とは

『ビューティフル・ボーイ』レビュー

 映画の中に、こんなシーンがある。小さい頃から親子で通っていた思い出のカフェに呼び出され、ニックから金の無心をされるデヴィッド。それを拒否した彼は、ニックにこう言い放たれる。「“自慢の息子”だったから、今の僕が嫌いなんだ」、「これが僕なんだ。こんな僕は嫌い?」。そして、ニックはデヴィッドのもとを去っていく。そう、彼は今の自分を恥じつつも、いまだに父親を愛しているからこそ、そんな自分を受け入れてもらいたいのだ。けれども父は、そんな息子の今を、心のどこかで受け入れることができない。「私のビューティフル・ボーイはどこに? そしてお前は誰だ?」。むしろ、さらに大きな“愛”によって、この“現実”をかき消すことができると思っているのだ。すれ違う2人の“愛”。お互いがお互いのことを愛すれば愛するほど、その“愛”がもう一度、2人を引き裂いていくのだ。その痛切なリアリズムに、涙を禁じることはできない。

 ティモシー・シャラメは、この映画が提起するもののひとつに、「“意志の力”についての誤解」があるという。「(この病から)抜け出そうとしない彼が悪いと決めつける以上に複雑な問題が、そこにはあるんだ。それは、ドラッグ中毒以外の問題についても同様だと思う。だから、人の葛藤を理解してあげること。そして、家族のサポートと愛が、いかに大事なのかということ。最終的には、家族の愛と忍耐力で、その状況を打破することができると思うから」。そう、ときに感情をぶつけ合い、お互いを傷つけ合いながらも、彼ら父子は、あきらめることだけはしなかった。この映画のタイトル・テーマでもある、ジョン・レノンの「ビューティフル・ボーイ」の一節ではないけれど、「人生は長い道のり。あらゆることは、日々少しずつ良くなっていく」ことを、心のどこかで信じて。

 とかく我々は、目の前に起こった現実を短絡的に判断しがちである。とりわけ、最悪な出来事が起こったときは、即刻何らかの判断をくだし、その現実から目を背けようとする。しかし本当に、それでいいのだろうか。それよりもまず、その現実を受け入れ、その内実を理解しようとすること。そして、ある種の忍耐力をもって、その状況を長期的に打破しようとすることが、何よりも肝要なのではないだろうか。それは何も、血の繋がった親子や家族に限った話ではない。「それは犯罪だから」……そう言って、即座に非難し断罪する、あるいは自粛するのは、とても容易いことだ。しかし、薬物依存がニックという人間の一部であってその全部ではないように、犯罪はその人間の一部であり全部ではないのだ。奇しくもこのようなタイミングでの公開となった映画『ビューティフル・ボーイ』ではあるけれど、このようなタイミングだからこそ感じられるものも、きっと多いのではないだろうか。その意味で、今こそ観るべき一本と言えるだろう。

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 ■麦倉正樹
ライター/インタビュアー/編集者。「リアルサウンド」「smart」「サイゾー」「AERA」「CINRA.NET」ほかで、映画、音楽、その他に関するインタビュー/コラム/対談記事を執筆。Twtter

■公開情報
『ビューティフル・ボーイ』
4月12日(金)より、TOHOシネマズ シャンテほか公開
監督:フェリックス・ヴァン・ヒュルーニンゲン
脚本:ルーク・デイヴィス
出演:スティーヴ・カレル、ティモシー・シャラメ   
製作:PLAN B
配給:ファントム・フィルム
2018/アメリカ/120分/ビスタサイズ/R-15
(c)2018 AMAZON CONTENT SERVICES LLC.
公式サイト:beautifulboy-movie.jp

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