Huluでのドラマ化も大反響! 綾辻行人『十角館の殺人』がミステリ作品に与えた影響とは
綾辻行人『十角館の殺人』のHuluでの実写ドラマ化は、予想以上の出来だった。全5話のドラマは、原作小説のエッセンスをていねいに抽出し、異様な謎が合理的に解明され意外な真相が明らかになる本格ミステリの面白さを、十分に表現していた。
角島(つのじま)という孤島にある、十角形の建物・十角館を、大学のミステリ研究会の男女が訪れる。島外と行き来できず、連絡もとれない状況で、メンバーが次々に殺されていく。一方、本土ではミス研の元メンバー・江南(かわみなみ)孝明が、十角館を設計した建築家・中村青司が他4名とともに角島にある本館・青屋敷で死亡した過去の事件の謎を追う。
島と本土で並行して進む物語は、原作では真実を示す決定的な1行によって、それまでの構図が一挙にひっくり返される。ページをさかのぼれば確かに伏線ははられており、読者は作者の罠にかかっていたのだった。その1行の衝撃は、小説ならではの仕掛けだと思われてきたし、映像化不可能といわれてきた。ところが、内片輝が監督・演出したドラマは、仕掛けをある方法で映像に置き換えている。あの1行のセリフも登場する。原作を未読のまま観る人は驚くだろうし、読後に観る人もドラマ版の工夫の大胆さに感心するだろう。
『十角館の殺人』は、37年前の1987年に発表された。エポックメイキングな作品であり、以後の国内の本格ミステリに大きな影響を与えてきた。つまり、新しめの古典である。とはいっても同作は、単独で存在できたわけではない。作中でも言及される通り、孤島で連続殺人が起きるクローズド・サークル(閉ざされた空間)のシチュエーションは、アガサ・クリスティ『そして誰もいなくなった』を下敷きにしている。また、怪しげな洋館で事件が起きるミステリは、旧くから書かれてきた。奇妙な形の建物を舞台にしたものとしては、綾辻がデビュー前から交流を持っていた先輩作家・島田荘司の『斜め屋敷の犯罪』(1982年)も、館ものの傑作として知られている。『十角館の殺人』は、クローズド・サークル、館といった定番の設定を用いつつ、新たな発想を加えて読者を驚かせた作品なのだ。
1960年生まれで京都大学推理小説研究会出身の綾辻は、謎解きを主眼とする本格ミステリを愛読していたものの、青少年期を過ごした1970~1980年代は、社会派ミステリやハードボイルドなどの方が隆盛だった。このため、前記のクリスティや島田も含め、本格ミステリの先行作品から伝統を吸収したうえで、自身が読みたいと思う小説を執筆したのが『十角館の殺人』だった。
彼に続いて講談社から法月綸太郎、我孫子武丸、麻耶雄嵩など綾辻と同じ京大ミス研の出身者や歌野晶午などが、また同時期に東京創元社から山口雅也、北村薫などが、謎解きを重視した様々なスタイルの小説を発表し、1990年代はじめにかけて新本格ミステリと呼ばれるムーブメントが形成される。本格ミステリを書きやすい環境になったわけだ。『十角館の殺人』は、ムーブメントの起点だっただけに、以後の本格ミステリに直接的、間接的に広く影響を与えたといえる。国内ミステリ史に残る象徴的な作品なのだ。
綾辻には京大ミス研の後輩以外にも、盟友といえる存在がいた。彼の2年後、『月光ゲーム Yの悲劇’88』(1989年)でデビューした有栖川有栖である。同作は、火山噴火に出くわしたキャンプ場を舞台にしており、大学のミス研メンバーがクローズド・サークルで連続殺人に遭遇する内容だった。綾辻と有栖川は、互いに知らぬまま同時多発的に親近性のある小説を書いていた。2人は親交を深め、ドラマ『安楽椅子探偵』シリーズ(朝日放送・テレビ朝日系)8作の原作の共同執筆も行った。うち7作を監督したのが、今回の実写ドラマ版『十角館の殺人』を手がけた内片輝である。
綾辻は『十角館の殺人』以後の「館」シリーズの大部分で、また有栖川はデビュー作からはじまる「江神二郎シリーズ」でクローズド・サークルを扱っており、それらが新本格以降のミステリにおけるクローズド・サークルもの増加の呼び水になったのは確かだろう。