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『ビューティフル・ボーイ』は今こそ観るべき1本 ドラッグ依存症に立ち向かうサポートと愛とは

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 日本において、覚醒剤や麻薬、大麻などの所持、使用が問題なのは、何よりもまずそれが法律で禁じられているからだ。では、そもそもなぜ、法律で禁じられているのか。その主な理由は、それらの薬物が持つ、高い依存性にある。摂取を繰り返すうちに、その量や頻度が増え、より強い効果を持つものを欲するようなり……いつしか、自分の意思ではコントロールできない状態になっていく。それが“依存症”の内実であり、それはもうある種の“病気”なのだ。よって、何らかの“治療”を施さない限り、その症状は日々進行し、決して“回復”することはない。そこで誤解してはならないのは、“依存症”とは、“自分の意思ではコントロールできない”からこそ“依存症”なのであり、本人の力だけではどうにもならないということだ。そこには、家族や友人、そしてリハビリ施設や自助グループなど、第三者によるサポートが必須となってくる。

 映画『ビューティフル・ボーイ』は、13回の依存症再発のため、7つの治療センターを訪れた青年の8年間の軌跡を、その当事者である青年(ニック・シェフ)と、彼を支え続けた父親(デヴィッド・シェフ)がそれぞれの視点から描いた2冊の回顧録をもとにした、いわゆる実話ベースの映画となっている。「ドラッグ中毒を扱った映画でのいちばんの不安は、いつものハリウッドの手法になってしまって、本当に起きたことを描かないんじゃないかということだった。しかし、この脚本は残酷なまでに正直だった。英雄も敵役も存在しない。我々が生きているこの世界を描いていたんだ」。父親デヴィッド役を演じるスティーヴ・カレルが語るように、この映画には親子の危機を救ってくれる“英雄”も、彼らを陥れようとする“敵役”も登場しない。そもそも、ティモシー・シャラメ演じる息子ニックは、いわゆる“不良”とは程遠い、成績優秀、スポーツ万能の青年であり、貧困とも無縁の環境で育ってきた。そして、スティーヴ・カレル演じる父親デヴィッドは、ジョン・レノン生前最期のロング・インタビューを担当したことでも知られる、著名な音楽ライターだ。

 幼い頃から父親デヴィッドにとって“最愛の息子”であったニックは、なぜ薬物依存に陥ってしまったのだろう。「息子の身に何が起こったのか?」、そして「彼を助ける方法は?」。切実な面持ちでカウンセラーに問い掛ける父親デヴィッドの言葉から、この映画はスタートする。事態は何の前触れもなく、ある日突然発覚した。2日間の無断外出を経て帰宅したニックは、デヴィッドが知らないあいだに重度の薬物中毒になっていたのだ。その現実を重く見たデヴィッドは、更生施設にニックを入所させるが、その治療期間中にニックは施設を抜け出し、再び行方をくらませてしまう。そして、ボロボロになった姿でデヴィッドに発見されるのだ。幼き日の記憶や、大学入学時の意気揚々としたニックの晴れやかな姿など、父子の幸福な回想シーンを交えながら、最悪の現実は幾度となく繰り返される。信頼と裏切り、そして謝罪。そう、この映画には、いわゆる“起承転結”のようなわかりやすい物語は存在しないのだ。それがなぜ起こったのか。そして、なぜ繰り返されるのか。それらがわかりやすく説明されることはない。なぜなら、当の本人たちにとっても、なぜこうなってしまったのか、いったいどこでその道が分かれたのか、わからないのだから。そこにあるのは、無残な現実と、その現実の前で途方に暮れる、彼らの苦悩と葛藤の終わりなき日々だ。しかし、本当にそうなのだろうか。

      

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