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『中学聖日記』教師と生徒の“純愛”はなぜ祝福される物語になったのか 強く優しい女性たちの生き方

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 『中学聖日記』(TBS系)の放送が終わった。中学生と教師の恋愛というセンセーショナルな題材を扱ったこのドラマは、有村架純と岡田健史演じる聖と晶の2人がどんなことがあっても守り抜いた「純愛」の物語として、清々しい終わりを迎えた。でも、このドラマがただ、「様々なバッシングと、親の反対、元婚約者の妨害を押し切り、余計に燃え上がった禁断の恋を純粋な心のみで守り抜いた」だけの話だったら、現代社会をキリキリと生きる私たち視聴者の心には届かなかっただろう。なぜ、最初は批判の声も多かった「純愛」が、大勢に祝福されるに至ったのか。

 それは、白い画面の中に佇み、部屋の中になぜかいつもいる千鶴(友近)と会話してばかりで、結婚式のスピーチか就職試験の面接かと言いたくなるようなきれいな言葉で未来と自分の目標を語り微笑む聖ちゃんが、その内的世界を打ち破り、本当になりたい自分を見つけ、誰に頼るわけでなく、自分の人生を切り開いたからだ。

 白い画面の中で不安げに佇んでいた彼女は、最終回、観覧車に乗って上に、上に昇っていく。「がんばれ、がんばれ」と聖を見上げて叫ぶ晶が、彼女からは豆粒ぐらいの大きさに見えるぐらいに。

 これほど斬新な演出があっただろうか。ベタなラブストーリーの展開で、エスカレーター越しに運命の男女がすれ違うことはある。だが、聖と晶の場合は、たった1人で観覧車に乗ってゆっくり昇っていく聖と、それを目で追い続ける晶という、なかなかない、壮大なすれ違いをやってのけたのである。すれ違うどころか、「君(晶)はまだまだこれからで、なんでも手に入る、でも(女で20代後半に差しかかった)聖には何が残る」とまで勝太郎(町田啓太)に勝手に決め付けられていた聖が、勝太郎の誘いを拒み、晶も置いて、空を飛び、タイで日本語教師になるという道を選ぶ。

 彼女は恋を一旦昇華することで、未成年で未熟な晶に、時間と距離と可能性を与え、大人としての責任を果たす。それと同時に、自分自身の教師としての夢にも向かっていった。

      

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