『中学聖日記』ラストシーンに込められた“人生の奇跡” 有村架純と岡田健史の再会が意味するもの

『中学聖日記』に込められた“人生の奇跡”

「一見普通っぽい聖ちゃんがそんな情熱抱えてたなんて。面白いし、そんな自分楽しまないと損よ。普通ぶって世間の顔色窺いながら本当の自分を隠す。その方がよっぽどダサい」

 『中学聖日記』(TBS系)第4話で、黒岩晶(岡田健史)への恋心に一生懸命蓋をしようとする末永聖(有村架純)に向かって、原口律(吉田羊)はそう言った。以降、このドラマは、自分に自信がなくて、いつも遠慮してばかりで、模範的に生きることで必死に自分を守ってきた聖が、世間の良識や抑圧から解放され、本心に従い、あるがままに生きる姿を描くものなのだと見守っていた。

聖と黒岩は「ロミオとジュリエット」にはならなかった

 けれど、最終回で聖が選択した決断は、とても良識的なものだった。

「黒岩くんはやっぱりまだ18で、危うくて、何かの拍子にすぐに感情に流されて、進めず、昔に戻ってしまう。黒岩くんを心配するお気持ちがよくわかりました」

 聖は黒岩愛子(夏川結衣)にそう話して、誓約書にサインをした。

 同時に、息子に恨まれてしまったことを嘆く愛子に、塩谷三千代(夏木マリ)は「あなたは間違っていません。親として当然のことをしたまでです。間違っているのは末永先生」と全肯定の言葉で救いを与えた。このシーンは、恐らく制作者が絶対に入れておきたくて、だからわざわざ塩谷を再登場させたのではないかと思う。

 愛は、時に暴走する。人は、時に間違う。だけど、決して勘違いしてはいけない。自分たち以外の誰かを傷つけてまで許される恋などないのだと。世の中には踏み越えてはならない法的なルールと心の掟があるのだと。

 「禁断の純愛」という煽りが先行し、色眼鏡で見られることも多かった本作だが、制作者たちは一貫して聖と黒岩の恋をスキャンダラスに描かなかった。ふたりはラストまで一線を越えることはなかったし、過激路線にも走らなかった。ドラマを盛り上げるためだけなら、もっと川合勝太郎(町田啓太)を『青い鳥』(TBS系)の佐野史郎のような粘着キャラにもできたし、愛子を内館牧子ドラマで富田靖子や牧瀬里穂が演じてきたような精神崩壊キャラにもできた。

 けれど、制作者はそうしなかった。勝太郎も愛子もふたりの恋路を妨害するようなことはしても、その内容は決して露悪的なものではなかった。勝太郎の忠告は周りがまるで見えていない黒岩のことを考えればもっともだし、息子が心配で居ても立ってもいられず「ちょうどコンビニに買い忘れたものがあって、明日のパン」と見え透いた嘘をつく愛子の作り笑顔には思わず胸が痛んだ。

 だからこそ、聖も黒岩も「ロミオとジュリエット」にはならなかった。障害があればあるほど燃え上がり、見境がなくなり、周りを振り回して、最期は自滅する。そんな悲劇の主人公になることを選ばず、地に足をつけ、社会のルールと共に生きることを選び、その上で幸福な未来へと辿り着いた。

 (紆余曲折はあれど、最終的には)人を傷つけない。障害に酔わない。ルールを破らない。許されぬ恋は、許されぬ恋なのだと。大切なのは、まずは相手と、周りで支えるすべての人たちの幸せを願うことなのだと。それが、新井順子プロデューサーをはじめとする制作者たちが描いた2018年の禁断の恋の結末だった。

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