アンドレイ・ズビャギンツェフ監督が明かす、『ラブレス』製作の背景と子役の名シーン誕生の裏側
『父、帰る』『裁かれるは善人のみ』のアンドレイ・ズビャギンツェフ監督最新作『ラブレス』が4月7日より公開される。第90回アカデミー賞外国語映画賞にノミネートされた本作では、離婚協議中でそれぞれすでに別のパートナーがいるボリスとジェーニャ夫婦が、自分たちが愛せなかった息子アレクセイが行方不明になってしまったことからたどり着く結末が描かれる。
今回リアルサウンド映画部では、メガホンを取ったズビャギンツェフ監督にインタビューを行い、製作の背景や子役の演出などについて話を聞いた。
「国から予算をもらうことは絶対にしたくなかった」
ーー今回の作品は『裁かれるは善人のみ』以来3年ぶりの新作になりますが、もともとはイングマール・ベルイマンの『ある結婚の風景』のリメイク版として制作していたそうですね。
アンドレイ・ズビャギンツェフ(以下、ズビャギンツェフ):確かにこの作品は、2011年にベルイマンの『ある結婚の風景』をリメイクしたいと思ったことから始まりました。版権取得のために数年間頑張ったのですが、4社いた版権所有社のうち、結果的に1社だけがOKを出してくれませんでした。その後『裁かれるは善人のみ』を撮ったのですが、その間も常に『ある結婚の風景』リメイクのために版権所有者との交渉を行っていたのです。それと同時に、家庭の崩壊や離婚についての物語を撮りたいという考えは常に私の意識下にありました。そして、2015年の夏に共同脚本のオレグ・ネギンが、“リーザ・アラート”という行方不明者を捜索するボランティアの記事を見つけました。そこには、組織ができた経緯と、彼らがどのような方法で行方不明者を探しているのかが詳しく書かれていたのです。これらの事柄がうまく絡み合った結果、家族の崩壊、離婚、そして行方不明者の捜索を描いた今回の『ラブレス』につながっていったわけなのです。
ーー『裁かれるは善人のみ』ではロシア政府から製作費の支援を受けていましたが、今回はそうではなかったようですね。その背景について詳しく教えてください。
ズビャギンツェフ:今回の作品では、最初から国に予算を申請するつもりはありませんでした。あなたがおっしゃるように、前作『裁かれるは善人のみ』では全体予算の20%を文化省からもらっていました。それは、国の保証を得ることによって、作品を守ってもらえると思ったからです。しかし、実際はそうではなかった。国から予算をもらったのは間違いでした。『裁かれるは善人のみ』が公開されてから1年後に、文化大臣自らが「今後も文化省としては映画製作に資金は提供するが、『裁かれるは善人のみ』のような作品には絶対に提供しない」と言ったのです。そのような背景もあり、今回は国から予算をもらうことは絶対にしたくないと考えていたのです。
ーー資金繰りの面は問題なかったのでしょうか?
ズビャギンツェフ:費用面で困難を極めたということはありませんでした。この作品ではまず、オレグ・ネギンがA4用紙3ページにダイアローグのないストーリの概観を書き、それを読んだプロデューサーのアレクサンドル・ロドニャンスキーが製作をしてくれることになったことから動き始めました。資金を提供してくれる人たちはすぐに見つかり、特に共同製作を務めたグレブ・フェティソフの貢献が大きかったです。彼は大富豪で、プロジェクト全体に資金を提供してくれました。さらに、ヨーロッパの複数のファイナンスを得ることができ、最終的にロシア、フランス、ドイツ、ベルギーの共同製作作品になりました。その中でも、私にとって特にうれしく名誉であり重要なのは、ダルデンヌ兄弟によるベルギーの制作会社Les Films du Fleuveが参加してくれたことでした。
ーーオープニングの荒涼とした風景と、美しいピアノの旋律が次第に激しさを増していく音楽の対比は、前作『裁かれるは善人のみ』でも使用されていた手法でした。この手法を今回も採用した意図とは?
ズビャギンツェフ:最初に大きな力強さを見せつけるという手法は、あなたが言ってくれたように『裁かれるは善人のみ』で最初にやったことではあるのですが、神による創造の1日目、2日目を見せるということに近いのです。オープニングの映像の後には、裁判やら家族のどうしようもないやりとりなどが続くわけですが、私はそういった日常に観客をすぐに溶け込ませないことが大切だと考えています。最初に観客の心を鷲掴みにするためには、高いレベルのものが必要になってくる。そして観客に対して、「これは少なくとも悲劇である」ということを示す。そのためには、まずは緊張感を持ってくることが大切だと思ったのです。また、コントラストも重要だと考えています。自然の光景は全くの無音状態である。どこかで鳥が鳴いていて、遠くで汽車が走っている音が聞こえるぐらいで、雪が枝に触れる音が聞こえるまでに静寂であるわけです。ただその前に、本当に力強いものを見せることが重要で、そのためにあのようなインパクトのある音楽をつけることにしたのです。