「監禁モノ」に新たな秀作登場! 『ベルリン・シンドローム』のリアルで緻密な心理描写

宇野維正の『ベルリン・シンドローム』評

 この数年、「監禁モノ」という映画のジャンルとしてはかなり狭い状況設定の作品に、同時発生的に秀作が続いていることが気になっているのは自分だけではないだろう。アカデミー賞で主演女優賞を獲得し(他にも作品賞、監督賞、脚色賞でノミネート)、ブリー・ラーソンを一躍スターダムへと押し上げた『ルーム』(2015年)。1000万ドルに満たない低予算作品ながら全世界で約1億6000万ドルの興収を上げた『ドント・ブリーズ』(2016年)。モキュメンタリー形式によるスケールの大きなSFパニック作品だった前作(『クローバーフィールド/HAKAISHA』)から一転、ヒッチコック的なサスペンスとして製作されて不意をつかれた『10 クローバーフィールド・レーン』(2016年)。M・ナイト・シャマラン監督にとって久々の大ヒット作にして、過去作と次作をユニバースとしてつなぐ重要な役割を果たす作品となった『スプリット』(2017年)などなど。昨年の世界的に最大のサプライズ・ヒット作品であり、アカデミー賞の脚本賞まで受賞した『ゲット・アウト』(2017年)も、「監禁モノ」というジャンルが表現できるテーマの飛距離を更新した作品として記憶に新しい。

 そこに日本の『クリーピー 偽りの隣人』(2016年)や韓国の『消された女』(2016年)などを並べてみてもいいかもしれない。また、「監禁モノ」ブームは映画界だけにとどまらず、ブリット・マーリング主演・脚本によるNetflixのドラマシリーズ『The OA』は「監禁される集団」そのものを物語の中心に据えて超常現象を描いたとんでもなく野心的な作品だった。

 こうして作品を並べてみると、「監禁モノ」はただ流行っている、ヒット作が連続しているといった状況を超えて、今、映画やドラマにおいて「ストーリーテリングの新たな可能性」が探られている最もホットな領域となっていることがわかる。「監禁モノ」が観客にもたらす最大のカタルシスは、その多くの作品においてクライマックスで描かれることになる「解放」の瞬間。それもあって、その状況設定が「男性中心社会において虐げられてきた女性」(古くから監禁モノ作品の被監禁者は女性だ)や「白人中心社会において虐げられてきた黒人」(『ゲット・アウト』)などの直喩や隠喩にしやすいという背景もある。

 『ベルリン・シンドローム』の監督は、日本では『15歳のダイアリー』(2004年)や『さよなら、アドルフ』(2012年)で知られるオーストラリアの女性監督ケイト・ショートランド。これまで手がけてきた長編映画がそうであったように、『ベルリン・シンドローム』の主人公(つまり被監禁者)も女性だ。もっとも、『15歳のダイアリー』や『さよなら、アドルフ』では少女の視点から物語が語られていたが、テリーサ・パーマー演じる本作の主人公は20代の成人女性。その描写は、観客が「監禁モノ」に対して心構えるレベルを軽く超えてくる肉体的にも精神的にもハードなものだ。しかし、本作には他の「監禁モノ」とは一線を画する一つの大きな違いがある。

 当然のように、ほぼすべての「監禁モノ」では登場人物が「監禁される瞬間」が描かれ、それは監督のストーリーテラーとして、そしてサスペンス演出としての、腕の見せどころとなってきた。ところが、『ベルリン・シンドローム』が恐ろしいのは、その「監禁される瞬間」が一体どこからなのかがはっきりとわからないところにある。いや、もちろん作品を観終わってみれば、「あ、ここでもう監禁されていたんだ」と指摘することはできるのだが、観客にとっても、そして何よりも主人公にとっても、それに気がつくのは物語がかなり進行してからになる。サスペンス作品においては昔からお馴染みの状況設定とはいえ、近年「監禁モノ」がこれだけ同時多発的に発表されても観客が食傷することがなかったのは、先述したようにそれぞれの作品で「ストーリーテリングの新たな可能性」が探られていたことにあるわけだが、本作もまた新しい「監禁モノ」のあり方を提示している。

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