松崎健夫の『スウィート17モンスター』評:大人と若者、視点の違いで見え方が変わる秀逸な構成
ここで注目すべきは、本作で大人側の視点と若者側の視点のパイプ役を果たしているネイディーンのクラスメイト、アーウィンの存在。彼がネイディーンに好意を持っているのは一目瞭然で、そのことをネイディーン自身も気付いているという設定。アーウィンが「映像制作に興味のある垢抜けないアジア系男子」であるとことによって、彼が<スクールカースト>の下層側の人間なのだと彼女に思わせるのである。結果、ネイディーンは校内のチャラいイケメンに熱を上げる。このチャラいイケメンも決っして「いけ好かない」だけの男ではなく、ネイディーンにも負があると描いている点も秀逸。
アーウィンのバックグラウンドや内面性が明らかになることで、ネイディーンの視点も徐々に変わってゆくのだが、ここで重要なのは、ネイディーンの内面は変化してゆくけれど、アーウィン自身は何も変わっていないという点にある。つまり、アーウィンの立ち位置は常にニュートラルで、彼の姿はこの映画における対立構造の標準器のような役割になっているのだ。
『スウィート17モンスター』は、いつの時代も「大人は判ってくれない」という普遍的な題材を扱いながら、同時に<多様性>という時代の変化も描いている。例えば、80年代のハリウッド青春映画群であれば、ネイディーンを救うのは<スクールカースト>の上層にいる美男美女の白人という設定の理解者だったのだが、本作ではその役割をアーウィンという垢抜けないアジア系の若者が担っている。アジア系の(しかもイケていない)男子が、お姫様を救う王子様的な役割を果たすという時代の変化は、大いに指摘されるべき点だといえる。
本作の中で、兄・ダリアンが不平不満を募らせたネイディーン向かってこう言い放つ場面がある。
「人生というのは不公平なんだ」
そのことに気付く若者はなかなかいないし、実はそのことに気付かない大人も多い。人生は基本的に不公平なのだと気付けば、人を羨んだり妬んだりしなくなるのではないか? とこの映画は諭している。そして、誰かのために自分が少しだけ損をしてみるのも悪くないのではないか? とも諭している。
『スウィート17モンスター』は、若い観客と大人の観客が異なる視点で物語と対峙しながら、最終的には同じ感動に着地するという難易度の高い技をみせてくれる。そこに横たわるものが、お互いに寄り添ってゆく「相互理解」であることは言うまでもない。それは、今のアメリカという国の政治にとって、一番足りないものではないか? とも思わせるに至るのである。
■松崎健夫(まつざき・たけお)
映画評論家。テレビ・映画の撮影現場を経て、映画専門の執筆業に転向。『キネマ旬報』(キネマ旬報社)、『ELLE』(ハースト婦人画報社)、『SFマガジン』(早川書房)などに寄稿。『WOWOWぷらすと』(WOWOW)、『ZIP!』(日本テレビ)、『japanぐる~ヴ』(BS朝日)、『シネマのミカタ』(ニコニコ生放送)などに出演中。共著『現代映画用語事典』(キネマ旬報社)ほか。Twitter
■公開情報
『スウィート17モンスター』
4月22日(土)より、ヒューマントラストシネマ渋谷、新宿シネマカリテほか公開
出演:ヘイリー・スタインフェルド、ウディ・ハレルソン、 キーラ・セジウィック、ブレイク・ジェンナー、ヘイリー・ルー・リチャードソンほか
監督・脚本:ケリー・フレモン・クレイグ
製作:ジェームズ・L・ブルックス、リチャード・サカイ、ジュリー・アンセル
提供:ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント
配給:カルチャヴィル×GEM Partners
協力:ユニバーサル エンターテインメント
原題:The Edge Of Seventeen
2016年/アメリカ/カラー/104分/PG12
(c)MMXVI STX Productions, LLC. All Rights Reserved.
公式サイト:www.sweet17monster.com